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楽しいことで忙しいほうがいい

毎年のことだけど、お正月をすごく楽しみにしてるわけじゃない。

まあ、だいたい書籍って3月とか4月にいくつかある出版のピークがくるから、じつは年末年始って原稿的には佳境だったりする。年明けすぐの脱稿とかよくある。

でも、この時間にしか流れない空気は嫌いじゃなくて。去年の元日は、たぶん、初めて意識的に「とくに何もしない」をしたのだけど、なんとなくそれはよかったんだと思う。流れてる空気とシンクロ率が高いというか。

現実的に1年の364日は何かしら仕事をしてるので(書いて編む仕事と、この2年は村の仕事も)どうしたって、いつもどこで何してても、どこかに仕事を持ち歩いてる人になってる。

まあ、フリーランスでやるってそういうことだし(自分が稼働しなければゼロだから)それは全然嫌ではないし、むしろいつでも好きに誰に制限されることなく仕事できるほうがいい。

世の中もリモートになってると、そっちに近づいてる面もあるから、だんだんフリーランスとそうでないの境界線もあいまいになってるのだろうか。それが嫌な人もいるから何とも言えないけど。

で、きょう1日だけ仕事(作業的なもの)から離れて、薪ストーブの前で外の樹々にとまる冬の鳥たちをぼーっと眺めてると、なんとなくこう思った。

楽しいことで忙しくしよう。言葉にすると「なんだそれ」って感じだけど、ほんとに理屈じゃなくそういう気持ちがやってきたから。

なんだろう。楽しいってかたちがあるようでなくて、かたちがないようであったり。つまり、つかむのが難しい。たぶん何か「これをすれば楽しい」っていう単純なものでもなくて、楽しいにつながるものをずっとやり続けてる状態そのものなのかもしれない。

やり続けてるってとこがポイント。何か一瞬そのときだけ楽しいっていうのもあるけど、それだとすぐ終わってしまう。

そうじゃなく「やり続けてる」から結果的に忙しくて。

とくに楽しくはないけど忙しいことに時間を溶かし続けてると、ある種の麻薬(あえての表現です)的に「楽しくないけど忙しい」から抜けられなくなる。他に、ちゃんと自分が楽しくて忙しいを見つけられてないことから自分を逸らしたくなるから。

それを続けてると、だいたいその反動というか埋め合わせで、とくに楽しくないけど一瞬だけは誤魔化せるものに時間を使ってしまう。それって、なんだか楽しくない。

目標とかそういうのでもなく、自分の基本的な生き方アティテュードとして持つことにする。楽しいことで忙しいを。実際、そうなりそうなんだけどね。