自然の中で見つけるプロ論
いつからだろう。「いかにプロになるか」の話をあまり聞かなくなった気がする。どうすればうまくいくか、どう評価されるか、どうお金になるかの話はよく聞くけれど。
この人プロだなと感じさせてくれる人の話よりも、「この人、めっちゃ注目されてる」「この人、有名で影響力あるよな」の人の話がたくさん流れてくる。
もちろんプロでありつつ、成功者で有名で影響力のある人もいます。いろんな分野で。それはそれですごい。
だけど勘違いしがちと思うのは、成功して有名で影響力を持ったからプロであるのではなく、プロであることがそもそもの前提なんですよね。
じゃあ、プロって何なんだって話。
ちょっと前ですがほぼ日の糸井重里さんとコピーライター・CMプランナーの田中泰延さんとの対談で、糸井さんがこんなことを言っていました。
アマチュアだってことは、変形していないってことなんですね。
プロであることは、変形してる。
1日だけ何かをやっても自分が変形なんてしない。何かしらのプロはずっとそれをやり続けることで、どこかが変形していく。それは悲しいことでもあるし、それがプロである。
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吉本隆明さんの受け売りと糸井さんは言われてましたが、ひとつの真実がその表現の中にはあると思うんです。
でも、なんとなくいまは「プロになって変形すること」をどこか恐れてる人が多い。自分を変形なんてさせずに、うまくやりたい、それで評価もされたい。そんな空気をすごく感じます。
あるいは世の中の流れが速すぎて、変形するまでいかず疲弊している人も多いのかも。
うまくいくのと、プロになるのは違うと思うんです。
うまくいく≒プロではない。逆を言えばプロだから何でもうまくいくわけでもないんですよね。
うまくいかない中でなんとかできるのがプロだとも言える。
少し話が飛びますが、僕は信州に移り住んで、夫婦で自然菜園の野菜づくりをはじめました。いまのところ野菜づくりは仕事じゃありません。
農薬や化学肥料を使う慣行農法とは真逆で農薬を使わず、草も生かしながら草の力も借りて土を耕し、最小限の堆肥で野菜を育てる。そうやってできた野菜は(うまく育ったやつはだけど)めっちゃおいしい。味の解像度が違う!どの野菜も味がすごく鮮明なんです。
と、言うのは簡単なんですが、実際には大変。
自然菜園の野菜づくりの師匠は僕らにこう言ってくれました。
3年先のためにいまがある。1年目は何がわからないがわからない。2年目はわからないことがようやくわかる。3年目でようやく少しわかることが出てくる。
これは個人の能力の話ではなく、生きるとは仕事とは「そういうもの」だよということ。
3年間もわざわざうまくいかないなんて意味がわからない。自分が答えを知ってるなら、それを教えて1年目からうまくいくようにするのが師匠の仕事なんじゃないのかと考える人もいるかもしれません。
たしかにそれもできなくはない。
でも1年目で「うまくいくやり方」の通りにやってうまくいっても、1年目は「わらないことがわからない」のだから逆説で「なぜそれで、うまくいくのか」もわからないんですよ。本質の部分で。
メソッドだけで物事がうまくいっても腹落ちしてないから、どこか浅い。
すこし何かの変数が変わればうまくいかなくなる。これって野菜づくりだけじゃなく、どんな職業でも言えるんじゃないか。
師匠は、その年の環境因子とかすべて見極めて感じ取って、そこでしかできない「うまくいく」を見つけられるからプロなのだということ。どこでも誰でも通用する「うまくいくやり方」を知ってるからプロなのではない。
この意味の違いがわかるのが「いかにプロになるか」の入り口なんだろうな。