見出し画像

朝と黄昏とスカボロフェア

朝早くに目を覚ました時。
外に出てみると、
朝の白い陽が、山や田んぼの見えるずっと先の下の方から、さっきまで紺色だった空をむっくりむっくり押し上げて行って、すっかり空を覆い尽くす頃までの間。東西南北の向こうのぐるりから“ゴォォォォォォッ”という音が、湯気のように空に向かって立ち昇ってくるのが聞こえる。
それは耳の穴からズンズン入って来て、それから
体中にこだましていって、途端に、大地が上に下に横に縦に斜めにワラワラと動き出すイメージが脳内一杯に広がる。

「これは地球が起きる音。」

11才になる年の春に、母が公団の抽選に当たってしまったもんだから、これまで住んでいた団地の西側に流れる川を渡って、さらに西側の戸建に引越した。
土地開発で山やら田んぼやらがどんどん切り崩されて、新興住宅地として栄えていく最中の一帯だったが、すぐそこの県境には山が近かった。
新しい家の前の道路から南はずっと先まで田んぼが続いていて、まだまだカエルが大合唱している様な所で、これまでお隣さんが有って無いような子供ばかりの賑やかな団地住まいに慣れていた私にとって、この引越しはエライ遠い所に来ちゃった感を味わうついでに、丁度、年頃も年頃だったので、山に沈んでいく太陽を眺めながら、45分のカセットテープに繰り返し繰り返し録音しまくったサイモン&ガーファンクルの「スカボロフェア」なんかをBGMに、覚え始めの感傷的な気持ちを掻き立てながら、部屋で一人、体操座りでどっぷり黄昏てみるという事を覚えたきっかけにもなった。

「地球が起きる音」は登校する頃には、遠くから聞こえ出した車やバスの音、近所のカーテンを開ける音、玄関のドアが開いたり閉まったりする音なんかに紛れてしまって、スッと消えてなくなる。
最初はそんな色々な生活音の類なのかとも思ったけれど、何というのか、耳を澄ませば澄ますほど、ガチャガチャと濁った日常の音とは全く違ったものに感じられて、ある日たまらず、転校先で始めて出来たお友達に告白してみた。

「あんね、
 朝、地球が起きる音が聞こえるっちゃけど」
「そんな音するわけ無いやん。」(博多弁)

にべも無く却下され、結局その日の黄昏案件を持ち帰るだけとなった。
それ以来、こういう感覚的な話しを友達にするのは
タブーな事のように無意識に刷り込まれて、余りしなくなった。

「地球が起きる音」なんて全く論拠の無い話である事は重々、承知の上。
でも、11才になる彼女が聞いたのは確かに
「地球が起きる音」。

「えっ、えっ、えっ、それめっちゃわかるぅ〜ッ!」と夜を徹して、この音について盛り上がれるチャンスを今もまだ、密かに懲りずに待っている。





いいなと思ったら応援しよう!