言葉の余韻

こんにちは、ひじき茶々です。(*´ω`*)

最近の私の気づきを聞いてくださいな!

ありがとう。嬉しいです。それではいきますよー!

私が気づいたこと、それは、言葉には余韻があるということ。

余韻ってさ、何かを食べたり飲んだりしたあとに来る味わいの深さだったり、トライアングルや、鐘の音のような音の響きだったりを指すと思うのです。

が、

言葉にも余韻があるって、気づいたとき、とてもおもしろく感じたの。

言葉の余韻は、特に厄介なのかもしれないなとも感じました。

その時、その場だけじゃないのが言葉の余韻。

例えば、嫌な言葉をかけられたとき、悪口など。
この場合での、言葉の余韻はおそらく、かけられた言葉。そして、そのときに感じた自分の気持ち。

そして、反対に、私がプラスになるような言葉かけをしてもらった時の感じ方や、言葉そのもの、それを受けた私の感情。

さらに、数年後、数十年後にくる余韻や、気づき。

言葉の余韻って、その場だけじゃなくて、良くも悪くも今だけじゃなくて過去未来を左右されると思うのね。

過去の言葉。今かけられた言葉。そして、白紙のはずの未来への言葉。

過去の記憶。ふとした瞬間に思い出す、嫌な記憶や、赤っ恥な記憶。

今の記憶。今この瞬間に言われた言葉。瞬間に言われた言葉。

未来への言葉。過去に囚われたときに見る未来と、過去から解き放たれたときに見る未来。

うーん。
うまくまだ言えないのだけど(;・∀・)

嫌な記憶、いい記憶抜きにして考えてみると、

例えば、「100点満点を目指さなくていい」って言葉、聞くと思うのだけど、それをもらったときは、なんとも思わなくても、数年後、数十年後に、ふとした瞬間に思い出すと、当時聞いたときよりも見方や感じ方が変わってくることがあるよね。

それも余韻なんだと思っていて。

百点満点を目指さなくていい。と言われて、私の場合だったら、聞いた当時は、「なにくそー!百点満点取らなきゃ生きている意味ないじゃん!!」っていう、気持ち

それが、数年後の今振り返ると、
「あ、あのときの言葉、そういうことだったんだ。百点満点取らなきゃ人間じゃないわけじゃないし、毎日百点満点は体力や精神力を蝕んでいく。だからこそ、百点満点を目指さなくていいと言われたのだな。」

と、腑に落ちることがある。

また、「ありがとう」って言われることが苦手だったんだけど、今考えてみると、「ありがとう」の中に、あなたがいてくれて嬉しい、助かったよって意味が含まれていることがあるような気がしていて。

温かな気持ちを、時間を超えて感じるのです。


それは自分が、なんでもないような自分でも日々進化していることが、1つあるのかもしれない。

そして、良くも悪くも考える質で、さらに、過去の失敗を最近の出来事のように思い出してしまう習性があるから、なのかもしれない。

そう思うと、今の自分も悪くないなと感じました。


最後まで読んでくれてありがとう!!!嬉しいです。

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