死について。

最近、死について考えることが、多い。自分の死ではなく、他人の死について。

この数日、立て続けに、アルバイトさんの肉親が亡くなった。誰か死は話を聞くだけで、どこか心が重くなってくる。

昔後輩が、こんなことを言っていた。

「人身事故で、電車が止まった時、こんな時に飛び込んだりするなよ~とか、いいますけど、おかしくないですか?誰かが怪我したり、亡くなったりしているかもしれないんですよ。」

なんとなくハッとして、それ以来、人身事故が起きる度に彼女の言葉がよみがえる。あぁ、いま誰かがなくなったのかもしれない、って。

芸能人の死についてもそうだ。直接知っている人ではないけれど、顔も分かっているし、その人の表層の部分だけだけれど、知ったつもりになっているし、他人が死んだとは思えない。どこか知り合いがなくなったような気さえしてくる。

命に貴賤はないと思う。みんな同じ。大きい災害でなくなった方も、病気で亡くなった方も、事故で亡くなった方も、自殺してしまった方も。全部同じで、同じように生きて、同じようになくなった。もちろん過程は違うし、生きていた長さも違うと思うけれど、そこにいて、そこからいなくなったというところは同じなんだと思う。

世にいう大きい仕事をしたり、知名度があったり、感動的なエピソードがあったり。知っているか知っていないかで、悲しむ人の人数は違うかもしれないけれど、残された人の悲しみも、残していく方の悲しみもおんなじくらい悲しいと思う。残された人、残された想い、残されたもの、大きさは違っても、みんな悲しい。

前にも書いたけれど、人生自体に意味はなくて、意味を見出していくのが人生かなと思う。人生の意味を見出して、でも志半ばで亡くなったのかもしれない。人生の意味が見つからなくて、命をなげ売ってしまったのかもしれない。どんな死もつらくて悲しいものだなと思う。

ただ、みんな確実にそこにいた。ちゃんと生きていた。えらいよね、みんな。えらいよ。

うちのアルバイトさんに思うのは、どうか悲しみに飲まれてしまわぬようにということ。みんなの人生は明日からも続く。アルバイトは休んだってかまわない。ごはんしっかり食べて、悲しみも抱えながら、また楽しみもかみしめてほしいなと思う。


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