母、家を売る。
母の日ですし、先に褒めておこう。
うちの母は優しい。優しいいんだけど、ちょっとだけファンキーだ。強いし、良く喋るし、明るい。
4姉妹の末っ子なのだが、上の3人との差がすごい。上の3人が木村多江、うちの母だけ、磯野貴理子って感じ。ビジュアルの話じゃなくて、テンションの話ね。僕がいうとマザコンっぽいけど、うちの母はチャーミングだ。ただ、母方の実家に行くと、すごく上品な空気感の中に、母の笑い声が響き渡っていた。
それだけ元気な母の話は腐るほど面白い話があるのだが、今回は特にファンキーなお話。
それは祖母が亡くなった時のお話。すごく財産があるとかではないんだけど、財産分与ですごく揉めたみたいで。
僕のところは僕が生まれた頃からずっと祖父母と同居。祖父母の介護にしても、うちの母がずっと、やってきた。それに関しては、その頃家にいなかった僕にしても反論の余地はないくらいに甲斐甲斐しくやっていたようだ。問題は祖父母の死後だ。
財産分与なんて推理小説の話だろうと思っていたのだけれど、僕が生まれ育った家とその土地が槍玉にあがったようだ。親族から家の財産を人数でわけろと。もし、住みたいなら、資産価値出して、現金を、支払えと。
ファーwwwと、なった。もちろん法律上そうなんでしょう。それが正しいんでしょう。
電話で聞いた時には、ただ、ずーっと、同居していて、僕たちにはその家しかないですし、おおう。となりました。母に関しては人生を僕たち家族に、祖父母に捧げたようなもの。ずーっとずーっと祖父母の世話をし続けていた母にはすごくショックな宣告だろうなと思っていました。親族は自分たちだって、と言っていたのかもしれないですが、うちの寡黙な父が「自分の胸に手をあてて、よく考えてみろ。」と跳ね除けていたらしいので、母の献身さは間違い無いと思われるのです。
しまいには、うちの両親が知らないところで、遺言書も、祖母に用意させていて。させていてという表現が正しいのかはわからないけれど。恨み節のようになってしまうのは、僕が少し恨んでいるからでしょう。
そんな事実を知っていたほんの数日後、母からの電話。
「家、売ったけん!」
ファーwwwってなりました。あの家には僕以上に、母も思い出が、あったかなと思ったんですが、ブチ切れて、母、家を売る。
「もうあの人たちと関わらなくていいなら、安い買い物よ!」と、すぐに新しいマンション購入も、決めていました。
もう今まで我慢してたものが堰を切ったように出るわ出るわ。今までの恨み節がぐわーっとでて、祖母の法事関連が済んだら、親族との関わりを絶っておりました。(現在進行形で。)嫌なことを我慢し続けてきたけど、そうくるなら、もういいや、ってなったみたい。
まぁ、家族の形はそれぞれですし、シロキの家は未だかつてないほどに、今平和ですので、母の決断は間違ってなかったのでしょう。
今日は母から電話で、「ピアノ始めたいんだけど、ちょうどいいピアノ探しておいて、子供用でいいから。」と言われました。思ったら即行動な母です。
母、父のカードを奪って東京へ。母、息子のカミングアウトにつられて、逆カミングアウト。など、面白い話を貯めておきたいと思います。