映画の現場にいないひとほど、映画祭に応募したほうがいい
もう間もなく「The Left Hand Dreams(左手の夢)」の企画を考え始めてから1年。この映画を作りながら…そして映画祭への応募を夢見ながら考えていたことを書き留めました。
(上の写真は気に入っている場面写真の1枚です。映画祭に応募するならメインビジュアルの1枚にしたいと思っています)
映画を作るための「仲間」は、女性ばかり
今年に入ってから映画を作るための「仲間」が増えてきました。
20代で知り合った「仲間」は、今も映像の仕事に関わっている友人もいるけれど、家庭を持ったり映画はやめていたり。
そのころ知り合った人たちは全員男性だったのですが、この春からひとり、またひとりと手をつないでいくように私を迎え入れてくれたのは、同年代や年上の女性ばかり。
不思議です。
「いわゆる映画」の現場にいなくても、「自分の映画」を作っていてもいい
私は若いころから、自主映画の現場や小さい映像の撮影現場にはよく出入りしていたのですが、大きな興行となる映画の現場には携わったことがありませんでした。
訓練して習得したこと以外に関しては自信を持てない自分(小心者…)にとっては、それがずっと負い目で、もっと勉強したいな~という気持ちを持ち続けていました。
しかし、今年知り合った女性監督たちがオリジナルの方法で力強く羽ばたいている様子を目の当たりにして、「映画を作り続けていることだけで大成功なのではないか!」…と、思えるようになりました。
彼女たちとの出会いは、この年齢になってなお、映画をまた作り始めようとする自分へのプレゼントだと感じます。
職業人として映画制作の現場にいる必要はなく、他の仕事をしていても(主婦や主夫でも)「自分の映画」を作り、映画祭で評価を得ることによって映画人として認められれば良いと思うようになりました。
普段、映画の現場にいないひとほど、映画祭に応募すべきです。
映画祭においては職業として映画に携わっているかどうかは問われず、映画そのものが主役です。
2022年に44歳になりました。
今日、2022年7月30日に44歳になりました!
2011年に長編映画を上映してから10年が経ちました。
あの頃は自分自身のオリジナルな映画を作ることとは何かということが分からず、社会や企画者や製作会社への奉仕について考え過ぎていたと思います。
長期にわたる製作(制作)において、その作業を完遂させる力をくれるモノが何なのかが、このところようやく分かるようになってきました。
映画は社会的なものですが、まず一番に自分が夢中になれるものでなければなりません。
社会のためでも、スポンサーのためでもなく、家族のためですらなく、今は自分のために作りたいもの以外は作らないという信念を持てるようになってきた…と思います。
私の好きな寡作の映画監督は10年に1本の割合で長編映画を作り続けていました。
私も10年に1本でも、紛うことなき自分の映画を生み出せますように…