(回想)きもの展、和の美に酔う。
きもの展
書きそびれていたこと。
昨年、予定されていた多くの展覧会が感染症拡大防止措置のため、期間や時間の短縮を余儀なくされた。中には企画そのものがやむなく中止や延期になったものも多々あるだろう。楽しみに待っていた方としても残念だけれど、準備に力を尽くしていらした関係各位のお気持ちを思うと、やりきれない。
その中で、期間を当初予定より丸々ずらして開催された国立博物館の「きもの」展は、幸運な例だといえよう。外出も控えめにする中で、これは是が非でもと駆けつけてほんとうによかった。半年も経って今更なのだけど、自分メモとして書き残しておきたい。
「きもの」は、文字通りでいえば何か身に纏うもの、そして私たちがふだん「着物」と言っているのはいわゆる和服のことで、この形は室町時代後期以降「小袖」から発展したものだった。
序章としていきなり、国宝「表着 白地小葵鳳凰模様二陪織物」が展示されていてまずビックリ!13世紀鎌倉時代のもので、地元、鶴岡八幡宮さんの所蔵品というのが(個人的には特に関係ないけど)なんとなく誇らしい気分になる。それにしても、なんと美しい「着物」だろう。淡いベージュ色に、緑、紫、水色の鳳凰が規則正しく織り出された絹地は、質といい色や模様といい、ごく限られた人のみに許された装束だろう。明らかに中国の影響の色濃いモチーフは、やはり中国から中東を経てヨーロッパへ伝わった動物模様の生地とまたいつかじっくり比べてみたい。
「小袖」が定着し始めると、「着物」は大いに日本独自の発展を遂げる。斬新なデザインのために技術が生まれ、高い技術を生かしてまた新たなデザインが生まれる、身にまとう実用品が、贅を尽くした芸術品へと昇華する。縫箔から刺繍、友禅と超絶技巧の手仕事に、著名な画家による手描きと、まるで競い合うかのように展示された着物類に、これはステキ!いやいやこちらも捨てがたい!と目移りする。まさに、当時の江戸や京都で、次から次へと目新しい着物が出てきては、新しい意匠や技法に粋を気取る男女が競って飛びついたのが目に見えるよう。
それにしても、何を見ても、その大胆かつ繊細なデザインに目を見張る。肩から背、そして帯から下の裾まわりと平面的な意匠がそのまま活かせること、いや着こなしで洋装ほど大きな変化が望めないためか、着物はまるでキャンバスのように自由な表現の場となっていたのだった。
やがて伝統工芸の限りを尽くした「着物」から、近代化とともに大きな変化を遂げる。化学染料で鮮やかに色模様を染め上げた銘仙は、庶民にも手の届く気楽な着物となる。
そして戦後、着物は「ハレの日」のもの、特別なものになった。作家ものやアーチストによる作品など、それはそれですばらしいけれど、本物のキャンバスに留めてしまうのではもったいない。現代の日常生活ではなかなか無理なこともある、そういう自分こそもう何年も着物はご無沙汰だし、そもそも自分で着ることさえできない。でもこの日本の誇る生活の美、伝統工芸の結晶を、もう少し気楽に生活に取り入れていけたらいいなと思った。
(展覧会を見てから半年、まだ実践にこぎつけていないけれど・・・)
きもの展
東京国立博物館
2020年6月30日〜8月23日(会期終了)
https://kimonoten2020.exhibit.jp/index.html
#きもの展 #東京国立博物館 #着物 #回想 #美術館めぐり #エッセイ
Fumie M. 02.22.2021
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