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ママ10年史 子育てにつまずいて気づいたこと


「保育士やのに、子ども好きじゃなかった……」

 結婚前に児童養護施設で保育士をしていた私は、様々な理由で親と暮らせない子たちと関わってきました。虐待する親やその子どもの現実を見て、「自分なら楽しく子育てができるはず」と自信をもっていました。

   そんな私に1人目の子が生まれて、まず感じたのは、不安と孤独でした。
  子どもが2歳になるころ、「子育てしんどい」と感じて口にしたのが、冒頭の「子ども好きじゃなかった」という発言です。
   
     自分で自分の言葉に衝撃を受けました。
  「子育ては楽しいはず」「自分ならできる」と思っていたけれど、全然できなかった。うまくいかなかった。何なら「子ども好きじゃなかった!」と自信を失くしました。

     今、上の子が10歳なので、私は母になって10年。
     周りの家族や友人に助けてもらい、自分と向き合い、子どもから【気づき】をもらって、今は、楽に子育てと向き合えるようになりました。
   そして、今も自分らしい子育てがしたいと絶賛模索中でもあります。
   
      うまくいかなくて、やらかしてきたから、気づけたことがあった!
      私の【気づき】が、「子育てしんどい」と感じている誰かの役に立てたら嬉しい。【気づき】は何だったのか、振り返りたいと思います。

“team奥林” 今一緒に暮らしている家族4人のこと

私→ママ フミ 44歳 主婦 2人の子どものサポーター 
        実質“team奥林のボス
   
パパ シンヤ 42歳 双子で4人兄弟の末っ子 営業職 優しい 

在真(あるま) 10歳 小5 甘えん坊の兄
        阪神タイガースにハマっている

星歌(せいか) 6歳 小1 自由人の妹
        3歳の時に[自閉スペクトラム症]の診断を受ける
        言葉の発達が遅い 自分の世界に入りやすいが
        人と繋がれる自閉っ子                 

※自閉スペクトラム症
 対人関係が苦手、物事に強いこだわりがある、言語の発達に遅れや偏りがある、などの特性をもつ発達障害の1つ。多様な特性を総称して[自閉症スペクトラム]と呼ぶことも。


あるまが生まれた時の不安「この子を守れるのかな……」

 出産から、「思ってたのと違う!」と感じるようになった。

私の母子手帳には出産時間約30時間と書いてある。良い陣痛が来るまでに時間がかかり、体力を消耗してうまくいきめなかった。

初めての授乳も全然うまくいかず、助産師さんに「2人(ママと赤ちゃん)とも下手!」と言われてひっそり泣いた。

退院したあとは、実家でしばらく過ごしたが、とにかく毎日不安に襲われた。

可愛いし愛しいけれど、それよりも「私はこの子を守れるのだろうか」という不安の方が強かった。

「理由もないのに涙が出る……これが産後うつかな?」

メンタルには自信があったのに、こんなにも弱って不安になるのか。

何か思ってたのと違う。

  不安定な気持ちのまま実家を後にして、私と旦那、あるまという3人での生活が始まった。


ママやらかす!急性アルコール中毒で人生初めて救急車に乗った!

 あるまが1歳~2歳の間くらいだったと思う。

3人の生活が始まって、「自分の時間がとれないことがこんなにしんどいんや」という壁にぶち当たっていた。授乳中なので大好きなお酒は飲めないし、外に出る時は必ず子どもと一緒。電車でも病院でも、周りの目が気になって、子どもがちょっと泣いたりぐずぐずしているだけで「何だかすみません」という気持ちになる。

旦那が飲みに行ったり、仕事に行ったりすることさえも、「そっちは自由やん!」と思い、よく揉めていた。

卒乳してお酒を解禁したころに、あるまを連れて久々にカラオケに行った。旦那が「今日は運転するからママ好きなだけ飲んでいいよ!」と言ってくれた日。濃いハイボールを何杯も飲んで、家に帰ってからビックリするくらい吐いた。吐いても吐いても頭はスッキリせず、見かねた旦那が救急車を呼んだ。

もうろうとしながら、病院に着いた時に聞こえたのは

「あらあら、こんな小さい子がいるのにねぇ」

という看護師さんの言葉だった。夜、旦那はあるまを抱っこひもで抱いて、病院まで付き添ってくれていた。意識はもうろうとしているのに、看護師さんの一言が突き刺さった。

今振り返るとこの出来事は、私の「子育てしんどいよー」のSOSだったと思う。

今は「やらかしたなぁ」とネタにできるけど、当時の私は、心底恥ずかしいことだと思っていたので誰にも言わなかった。誰かに話していたら、ちゃんとSOSになって、少し楽になれたかもしれない。


ママ35歳の反抗期!

  あるまが2歳のころのこと。

歩き始めたあるまと毎日公園に行っていた。その時は、「なんとか昼寝をしてほしい!」と寝かせることに必死だった。寝ている間はホッとできるが、昼寝をしてくれない日はとにかくイライラした。

たった2歳のあるまに怒鳴っては「やってしまった」と反省をする。寝顔を見て、「怒ってごめんね」と泣く日々。冒頭に書いた「子ども好きじゃなかった…」発言をしたのもこの時期だったと思う。

両親は、ひと月に一度くらいの間隔で会いに来てくれ、食材やおかずなどを差し入れてくれた。ただ車で2時間半ほどの距離なので、「ちょっと買い物行きたいから見てほしい」と頼るのは難しかった。

両親が大阪の家に来ていた日の午後、あるまが昼寝をしている間に両親は家に帰る予定だった。

でもあるまは全然寝なくて、私はイライラを通り越して号泣。

父が「自分たちがいたら落ち着かないだろうから帰るわ」と言って帰ってしまった。

後で母に電話をして、「なんで帰ったん?なんでこんな状況やのに助けてくれへんの?」と母を責めた。

母は、父に従って帰ってしまったことを後悔しながらも、ただ困っていたように思う。

父にも母にも助けてほしいけど、両親に具体的に何をして欲しいかわからない。どこかで、「私は大丈夫!」というプライドがあった。素直に頼れなくて、自分のイライラをぶつけたことが何度もあった。

恥ずかしいけれど中学生のころの反抗期と同じ。

両親は私のことを心配して、私の旦那や友人、自分たちの知り合いに内緒で相談していた。

信用されていないし、お互い向き合えていないと思った。そんな事件をきっかけに、両親と向き合って話した。

「大丈夫かどうかは私に直接聞いてほしい」とか、その上で、「子育てがしんどい!」「時々息抜きをさせてほしい」と素直に伝えて、ちゃんと頼ろうと決めた。

父も母も話をしっかり聞いてくれたし、少しずつ、親にうまく頼れるようになっていった。

35歳の反抗期で気づいたことは、私は親に、「子育てがうまくいかない自分」を見せたくなかったということ。

でも、ダメな自分を親に認めてもらうことで、私自身もダメな自分を少しずつ認められるようになった。ガチガチだったプライドが和らいだ。「助けてほしい」とちゃんと伝えられて良かった。


「誰に頼ってもいい」「心配より信頼」友人の言葉に助けられた。

息抜きに、独身の友人がごはんに誘ってくれ、子育てがしんどいという話を聞いてもらっていた。あるまに当たってしまうことや、親との間にあったことも話した。

友人は、
「私は子ども育てたことないから信用ないかもやけど、私でもいつでも預るよ!もっと周りを信頼して、頼っていいんちゃうかな?」と言ってくれた。独身の友人に子どもを預けるなんて考えもしなかった。

「そっか、私周りの人を信頼してなかったんや。誰に頼ってもいいんや」

と気づいて、体の力が抜けてポロポロ泣いた。

もう1つその友人が言ってくれたことがある。

「親は心配する生き物やと思うけど、子どもの立場からしたら、もっと心配じゃなくて信頼してほしいんちゃうかな?私はもっと親に信頼してほしかった。」

私自身も、自分の子育てで親に心配されていたから、親に信頼してほしいという言葉はすごく響いた。

【心配より信頼】この気づきは、今も子育てでとても大切にしている言葉だ。

周りの友人や保育園の一時保育を頼ってみたら、思っていた以上に心も体も軽くなった。

子育ては私だけではできない。家族だけでも抱えられない。実感をもって気づくことができた。


2人目の娘は発達障害だった 星(せい)ちゃんがいて気づいたこと

 あるまが4歳の時、2人目の女の子、星(せい)ちゃんが生まれた。

星ちゃんは出産から楽で、あるまの30時間に対して星ちゃんは3時間!授乳は順調に進み、しっかり寝てくれて、育てやすい!と感じた。「2人目は楽」と聞いてはいたけど、こんなに違うのかと驚いた。

 2人目は楽だと思っていたが、星ちゃんは3歳の時に[自閉スペクトラム症]の診断を受けた。

児童養護施設で発達障害の子たちと関わってきた経験から、星ちゃんが言葉が遅いことは自分でも気づいていた。発達障害かもしれないと覚悟はしていたけれど、診断を受けた時はショックだった。母に電話して号泣した。

2週間で受け入れると決めて、友人や親戚に星ちゃんの障害のことを連絡した。「大変なこともあるかもしれないけど、今まで通り星ちゃんをよろしくお願いします」と。旦那はとまどいつつもしっかり受け止めてくれた。友人や家族が温かく受け止めて、言葉をかけてくれたことが、すごくありがたかった。

星ちゃんは今6歳。

言葉の遅れやこだわり、進路のことなど、星ちゃんの子育ては大変なこともある。

でも、発達障害の星ちゃんが生まれて来てくれたことは、私にとって大切な【気づき】になった。

 それは、子どもは親の思い通りに行かなくて当たり前だということ。

星ちゃんは、周りの子より言葉の発達や理解が遅いので、他の子と同じようにできなくて当然。

今の星ちゃんでいいと思える。

発達障害の星ちゃんがいて、私の子育て観は柔らかくなった。

「できて当たり前」から「できなくてもいい」に変わってきた。

あるまに対しては要求が高く、思い通り動いてほしいという私のエゴで接していることにも気づけた。

(今も私の大きな課題!)

星ちゃんは毎朝自分で起きて、鼻歌を歌いながら1人遊びを楽しんでいる。自由人で、私から見てすごく自分らしく生きているように見える。

あるまは、テレビでほぼ毎日阪神戦を見て、大声で応援している。好きなことに全力で楽しんでいる姿が一番好きだ。あるまも、しっかり自分らしく生きている。

私も自分らしく生きたいと思う。


子育ては自分と向き合うこと 自分らしい子育てがしたい


子育てがスタートして10年。私の【気づき】は何か。

気づき① 人を頼ってもいいと思えた。ひとりで子育てはできないと実感した。

気づき② 子どもを心配するよりも、信頼する子育てがしたい。

気づき③ 子どもは親の思い通りにならない。思い通りにしようとしていた自分に気づいた。

気づき④ 親もやらかして成長する。 

子育ては、親がとことん自分と向き合うことだと、改めて感じています。

子育てとは言うけれど、親だって子どもから【気づき】をもらって成長しているので、家族4人で“team奥林”を育てているという感覚もあります。

子ども好きじゃなかった……と自信を失くした私だったけれど、

今は、あるまと星ちゃん、2人がとても大切。

2人とも「自分らしく生きる力がある!」と自信をもって言えます!

子どもの素敵なところを、自信もって言えるようになったことが、私の大きな成長であり、

その過程の中で私は今、自分らしい子育てを模索しています。

 

これからこのnoteでは、次のようなテーマで記事を書きたいと思っています。

☆私のイライラを、一番近くで受けている旦那のこと!夫婦のこと

☆自閉っ子の子育てのこと(きょうだい児の子育ても!)

☆[障害]について思うこと

☆[虐待]について思うこと

☆私が全力で好きなACIDMANというバンドのこと

☆好きな本からもらった気づき など。

自分と向き合いながら、気づいたことを言葉に綴っていきたいと
思っています。

私の【気づき】が誰かの【気づき】になって、役に立てることを目指して。


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