死んでもおかしくない若造として、僕は文章を書く
人生100年時代なんて言われるこの頃。
もう30年以上、それなりに長く生きてきた気もするが、まだ折り返し地点にも達していない。
江戸時代なら、そろそろ死んでもおかしくない年齢であると同時に、今の人類にとっては、まだまだ若造とも言える。不思議な感覚。
この先も時代は変わり続け、きっと自分も変わり続ける。
「今の自分」は「昔の自分」とは違うし、きっと「未来の自分」とも違うのだろう。
そう思うと、日々考えていることを、残しておきたくなった。
AIが無限にテキストを生み出す時代に、わざわざ人間が文章を書く必要があるのか?と問われると、怪しいものだ。恐らく、あまりない。
僕が書かなくても、困る人はいない。僕自身ですら困らない。
でも、もはや「必要性」に縛られるのは、スマートではない気もするのだ。論理に従うだけで誰もが辿り着く場所に、飽きつつあるのかもしれない。
ただ、今を生きる人間が、今を言葉にする。それでいいんじゃないかと。
テキストの海を漂う、手紙の入った小さなボトルのような。
綺麗なものでも、カッコいいものでもない。
ひっそりと、無人島に溜まり続けていくのかもしれない。
でも、その溜まったボトルに日が当たり、いつかキラキラ輝いて見える日が来るかもしれない。
そんな気持ちで、僕は文章を書くことにした。