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「失われた時のカフェで」 パトリック・モディアノ

平中悠一 訳 作品社

探偵する学生と探さない探偵、そして4


今朝「失われた時のカフェで」を読み始め。元々の題は失われた若者或いは世代といったところで、プルースティックな味わいは訳者平中氏による。

モディアノの作品は今回が初。モディアノの作品に共通する(らしい)誰かの人生を再構成するというテーマを扱った、美味しいとこどりの「モディアノのベスト盤」というこの作品、ダイジェストすぎてなんか作品の鍵がつらつらと出過ぎな感もある。もっといろいろ詰め込めたのでは?とも思うが、それがモディアノの味なのかな。

 男たち、女たち、子どもたち、犬たち。この途切れることのない流れの中で、通り過ぎた、あるいはさまざまな通りの彼方に消え去った彼らの中で、人は時おり、ある面ざしをとりとめたい、と希う。
(p15)


通りというのもモディアノ文学の頻出項目かな。今回彼らが探すのは通称ルキという若い女。始めの語り手の学生はカフェの別の客がつけてた客年鑑みたいなノートを元に彼女を再構成しようとする。
第二の語り手は彼女の夫から依頼を受けた探偵。でも探偵なくせに最後は彼女を失われたままにしておくことにする。

 あなたは全てをでっち上げることができる。新しい人生。彼らはその真偽を確かめようとはしない。語っていくにつれ、この想像上の人生が、すばらしく新鮮な一陣の風が、そこを吹き抜ける。長い間ずっとあなたが息をこらしていた、閉じ込められていた、その場所に。とつぜん窓が開き、鎧戸は外海の風にカタカタ音を立てる。
(p28)


さっきのノートを借りた探偵は職業を美術出版者と偽る…とそこからの文章…今度試してみよう…ここにも出てくる「あなた」という語りかけは、語り手の区別を越えていて、モディアノが読者に直に語りかけてきているようだ。

 僕にはすぐさま問題の核心に入ることなく、現場を偵察する習慣があった。
(p35)


これは探偵だけでなく、モディアノ自身にも言えるのでは、と思ってたら、次ページに「小説でも書くべき」と上司からの批判がされていた…

さて、この作品、語り手4人の構成で、この「4」というのもいろいろ変形で出てくる。学生の語りの最後に4語の単語(学校名)を繰り返してたり…その後もいろいろ。

第三の語り手は探し求められていた当のルキことジャクリーヌ。解説の冒頭の文章(ここでも通りが出てくる)も魅力的だけど、今回はここから。

 逃げ去るとき、だれかの前から消え去っていく瞬間にだけ、私はほんとの私自身だった。
(p90)


「失われた時を求めて」も思い出させる(「逃げ去る女」)この文章。人は何かの瞬間の為だけに生きているのかもしれない。
(2016 03/27)

オートフィクションと密告


…実は4ではなく語り手は5だった…
少しずつ解説も読んでみる。モディアノ作品に限らないけど、オートフィクションという概念がある。日本語の訳はしばしば「私小説」となっているけど、もちろん日本の私小説とはかなり違う。

 「自らの人生そのものをフィクション化していく」
(p157)


というもので、日本の私小説とはベクトルが逆。オートフィクションは私を小説化、日本の私小説は小説を私化…
あとはモディアノ作品のおおよその区切りとして1975年より前は今より「表現主義的」だったという。表現主義そのものではないが、今よりラディカルでそれは今日でも残っているという。何かわからない第二の語り手ケスレィの怒りなどはその一つか。

モディアノ読了(その1)


まず、語り手はやはり4だった。5部に別れてはいるけど、最後の2つは同じ語り手(ロラン)…ルキが本名ではないように、ロランも本名ではない(本人曰くもっとエキゾチックな名前だそう)。この辺も読み解く鍵かも。物語の後半はずっと中心に朗読会?があるのだが、その中心人物ド・ヴェールがこのルキとロランを無責任に引き込んだ(時代背景は1960年代後半)という研究者の指摘がある。そこら辺になると自分はよくわからないのだが、モディアノ自身の青春と重なる部分ではある。
そのド・ヴェールがロランに言った言葉から。

 だれかをほんとうに愛した時は、そのひとの謎も受け容れなくちゃいけない
(p133)


その次のページ。

 そしてある人々がある日消え去ると、人は彼らのことをなにも知らなかったことに気づくのだ。彼らがほんとうはだれだったのかさえ。
(p134)


前者の文はレヴィナスも参照する部分が解説にあり(その2へ)、後者はモディアノの主要テーマである人物再構成へとつながるのだが、解説ではなぜ「ある人々」であって「ある人」ではないのか、と問う(集団的記憶)。
あとは、作品中の「時間の滑り」。これもモディアノを特徴づけるものの一つなのだが、この作品でも、いつの時点から回想しているのか、その語っている時点が実は絶えず浮動しているのではという感覚がある。この語るという行為そのものも逃げ去る読感が自分には愉しめた。
残る解説はその2へ。

モディアノ読了(その2)


では、解説へ。

 複数の視点による「一人称」からなるこの作品だが、その中心でヒロイン・ルキの人生がいわば「ブラック・ホール」のようにその別々のナラターたちの「物語」を引きつけ、結合する。どれもが彼女をめぐる記憶を紡ぐナラションだからだ。
(p170)


ブラックホールという言葉も作品中に出てくる。なかなか簡潔で手際のよいまとめ方なのだが、一つ気になるのは「結合する」のは誰か?というところ。ロランなのかケスレィなのか第1部の語り手なのか神なのかあるいは作者なのか、ひょっとしたら読者なのか。

 私の中にある謎と他者としての謎…ややレヴィナスを応用しつついえば《他者》とはつまるところ謎であり、それが私の中にあろうと他者として存在しようと、謎であることには違いはない
(p175~176)


謎、もしくは《なぞの女》は「その自己の中にある解明しえない謎の外在化」に当たる。謎の外在化してたら他の人の外在化と交わってた…みたいな。
あと意外にもモディアノの最初期の愛読書はセリーヌみたい。この二人最初思ったより相性いいのかも。
(2016 03/29)

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