見出し画像

「カバコフとボルタンスキー」 2022越後妻有大地の芸術祭-2

今回は、2022年6月18、19日に行った妻有大地の芸術祭で見た、イリヤ・カバコフとクリスチャン・ボルタンスキーについて。現地に置いてあった書籍を、帰ってから改めて図書館で借りて、ぱらぱらめくって、目についたところを思うままに書いてみる。


イリヤ・カバコフ

「イリヤ・カバコフの芸術」沼野充義編 五柳叢書 五柳書院 から

 思想上の主眼は、社会主義は良いものだ、ということです。良いものであるだけでなく、まさに生の祝祭なのです。しかし、社会主義には決して手を触れてはなりません。社会主義とは、ロシア・パビリオンのバルコニーからの眺めと同様「触れてはならない」ものなのです。社会主義は素晴らしいものですが、ヨファンやマヤコフスキーのユートピアの中だけのものであるべきで、決して実現させてはならない、「実行に移し」てはならないのです。社会主義は、離れたところにある限り素晴らしい。この永遠のユートピアは、走るロバの鼻先に差し出された草束のように、我々の眼前に輝き続けるでしょう。
(p101)


この後、このユートピアはセイレンの歌声のようだ、とも述べている。
この文章が掲載されているのは、ヴェネツィアビエンナーレ(1993)をめぐる、ボリス・グロイスとの「対話」。妻有大地の芸術祭で見た「プロジェクト宮殿」などは、そういうユートピアを我々の「鼻先」に括り付けるままにしておくように、決してそれに手をつけないようにするための訓練なのかもしれない。

もうちょっと読もう。

グロイス
 非常に長い間あなたの作品は私にとって、世界をモデル化しようとする試みはどれも道徳的に問題があるのみならず、論理的に不可能であることの証明だったわけです。そうした試みはそれ自体の内部で崩れ、壊れてしまうという。ところが、非常に驚いたことには、国境を越えたためかある年齢を越えたためかはわかりませんが、この根本的と私には思えるテーマについてのあなたの態度が突然変わったのです。そして今あなたは、もういかなる皮肉もこめずにトータル・インスタレーションを語っています。
カバコフ
 脱構築の段階から構築の段階への移行プロセスは全く無意識のうちに-まさに無意識のうちに-起こると私は思います。
(p104、105)


示唆に富むのと同時に難解なところであるが、日本のカバコフ受容の多く(もちろん自分を含めて)は、皮肉が込められていないカバコフをそのまま受け取り、その前の「世界をモデル化しようとする試みへの批判」というたぶん孤独な戦いであった部分を読み落としているのではないか、と感じた。
しかし、そうしたカバコフに変化があったのか。あったとすればなぜなのか。上にカバコフの返答もあげたが、こうした移行であるならば常に起こっているのではないだろうか。システムの自己修復性という観点は興味深いが。

 永久なる革命は可能か、永久なる脱構築は可能か
(p106)

その他、現地にあった書籍
「イリヤ・カバコフ自伝 60年代―70年代、非公式の芸術」鴻英良 訳 みすず書房
「プロジェクト宮殿」鴻野わか菜・古賀義顕 訳 国書刊行会

「ユートピア文学論」沼野充義 作品社
「熱狂とユーフォリア」亀山郁夫 平凡社
(以上2冊は舞台作品の美術をカバコフが担当したという関わり)

クリスチャン・ボルタンスキー

「クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生」クリスティアン・ボルタンスキー、カトリーヌ・グルニエ 佐藤京子 訳 水声社 から

 現在僕がやろうとしているのは、自分自身に対して発する問いをめぐって一種の寓話を構築することだ。だから現実のシチュエーションを少し改良してそこから話を作り上げる。例えば日本のプロジェクト(豊島の心臓音プロジェクト)の話をする場合、実際に僕が作品を設置する島ではなく、その隣の描写をする。
 僕の願望は、現実と結び付いたこうしたフィクション、物語に向けられている。今後僕がやっていきたいのはこの種のプロジェクトなんだ。
(p299)

聞き手はキューレーターでもあるカトリーヌ・グルニエ。
物語を大切にするというボルタンスキー。物語をそのまま保存するというのではなく、そのきっかけ、分岐の無限性に賭けているのだろう。
(p303で語られている、日本へ初めて行ってテレビ番組に出演したというのは「11PM」?)

 三回目の『最後の教室』(2006)は対照的に暗い冬のイメージで、「夏の旅」(2003)から「冬の旅」へ、「夏物語」から「冬物語」に一転した作品だ。一つには『最後の教室』の準備のためにジャン(カルマン)と一緒に現地を訪れたのが二月の大雪の時で、最初に夏の太陽の下で見ていた学校のイメージが一変していたことも大きいと思う。建物の一階は雪に埋もれていたし、それに一回目と二回目の間に、この地域で大地震が起こったりもしていた。それからもう一つの理由は『夏の旅』は仮設のインスタレーションで、『最後の教室』は常設の作品だということ。常設となれば保護するために空間を閉ざしたりと、作品も当然重いものになってくる。
(p305-306)

現地で見た「最後の教室」についての本人のコメント。ボルタンスキーは、軽い印象の作品と重い印象の作品を交互に作ることが多いという。この「夏の旅」と「最後の教室」という同じ廃校を取り上げた作品対もその一例。あと、このようなインスタレーションの場合、作品をめぐる状況や環境など、一見外部要因に見えるものも作品は意欲的に自身に取り込んでいく、という点も面白かった。

 僕がやりたいのは物語なんだ。物語の始まりを仕掛けること。豊島の作品にしたって、ある島に何百万という心臓が脈を打っている…という一つのお話の始まりだ。誰も豊島やタスマニアに行かなくても、この話は残る。そして話が物語として続いて行くには、作品がロンドンとかベルリンじゃなくて、世界の果てにあるということが重要なんだ。
(p306)

また、物語に戻ってきた。世界の果ては自身の何かを開くなのかも。
ひょっとしたら、自分が「最後の教室」を見ていた時に感じていたのは、ちょっと重い見方だったのかもしれない。こうした作者の言葉を聞いてまた現地を訪れると、また違ったふうに作品を感じられるのかもしれない。それは「作者の意図」だから重要だということではなく、その体験が自分自身の「物語」の次の展開につながっていくことへの期待となるから…

p303からの「日本のこと」は、聞き手が訳者の佐藤京子自身。それから、この本のタイトルは1968年のボルタンスキー初の個展「クリスチャン・ボルタンスキーの不可能な人生」をもじってつけられた。

その他、現地にあった書籍
「クリスチャン・ボルタンスキー 死者のモニュメント」湯沢英彦 水声社
(この本から、現地で見つけたこんな箇所を(チラ見しただけなので、ディテール違うかも)
世界中の電話帳から極めて多くの名前を集めてアーカイブにするという作品がある。この本の著書湯沢氏は、この試みは、アーカイブを破綻させること自体が目的なのではないか、と思い作者に尋ねてみる。と、返ってきた答えが「いや、単にいろいろな名前を見てるのが好きなだけだよ…」)
(2022 07/02)

関連書籍


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?