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「ブロディーの報告書」 ホルヘ・ルイス・ボルヘス
鼓直 訳 岩波文庫 岩波書店
謎と話
「ブロディーの報告書」は「じゃま者」を。ボルヘスが細部にこだわる誘惑?を断ち切って書いた簡潔な短編。冒頭にこの話にはいろいろなバリエーションがあるなんてことを断っているが、人は何故他人に話をするのか?という問いの答えがここにあるかも。人が伝えたい、と思う話には何らかの芯がある…と。
(2012 08/21)
裏切りと決闘のテーマ
標題に書いたように、アルゼンチンのガウチョや無法者の決闘とか裏切りが(今のところ)テーマになっている。ボルヘスの別の側面…とともにあちらの人はこういうの好きなのね…という感じ。でもボルヘスだから?何かひとくせありそう。
その中で「めぐり合い」を。何がめぐり合うのかといえば、(決闘する)人ではなく、ナイフ…
物は人間より持ちがいい。この話はここで終わりなのかどうかわからない。ナイフがふたたびめぐり合うことがないかどうか、これもわからない。
(p68)
ボルヘスきたーって感じだが(笑)、この前にナイフのコレクションを見せられているところから、伏線はしっかりとはられている。もちろんその前からも…
収集家というものは、そういうものも含めて味わうんだよなあ…話の収集家もまた…
老夫人の記憶
「ブロディーの報告書」から2編。「フアン・ムラーニャ」は朝の短編の続きのようなナイフもの(?)
で、次の「老夫人」からは、決闘とかならず者からは離れて、(自分のイメージの)ボルヘス味?が増す。
古い記憶ほど鮮明なものである。
(p88)
短い何気ないこういう言葉が引っ掛かる。
最後に老夫人に残された楽しみは、追憶が、後には忘却が与えるそれだったのではないか。
(p88)
それって何(笑)。説明しなくてもなんとなくわかるけど、でもよくはわからない「それ」がボルヘスのテーマなんだな。
この短編はアルゼンチン軍人の昔の英雄(日本で言えば幕末の志士みたいな感じかな)の子供の最後の生き残りである老夫人の話。この「英雄」や老夫人にはボルヘスの先祖のエッセンスが入っているみたいだが…それだけに最後の一文は皮肉の味。
(2012 08/22)
争い2編
「ブロディーの報告書」は争い2編。「争い」と「別の争い」。前者は争い…というには静かな女性画家同士の関係。後者はまたもガウチョ同士の争いで結末も残酷。でも、この2つを並べてこれみよがしなタイトルつけてるところから、ボルヘスの興味(のうち一つくらい…)もわかる…対立関係は常に温微的に存在し、その基本的なスタイルは変わらないけど、発火するかどうかは本人逹次第…というところか。
あと、皮肉めいた楽しい?表現がやはり多い…
(2012 08/23)
グアヤキル
「グアヤキル」。南米の歴史で有名なボリバルとサン・マルティンとのグアヤキルでの密談…と、ボルヘス?とプラハ生まれのユダヤ人博士との会談がオーバーラップする…そういう話。
あるいは、二つの異なった戦場における一個の意志の表現、ですか。
(p131)
この短編集を貫くテーマはひょっとしてこれかも。ナイフものもそうだし、2つの争いも…話に入る前のまくら?もこの二重性を表しているのかも。
睡眠不足の朝ではほとんど読み取れていないだろうけど…
(2012 08/24)
「マルコ福音書」と標題作「ブロディーの報告書」
この2編、共通点がいろいろあって、何らかのテクストが問題(福音書・報告書)となっていること、話者や対象がスコットランド出身であること、そして言語の話すことの始源への言及があること…
無限は親指から始まるのだ。
(p154)
このぞくぞくっとする表現は、ブロディーが報告する原始(あるいは退化)種族ヤフーの数の概念が4までしかないところから来ている。この作品はヤフーからもわかる通り、ガリバーを下敷きにしているのだが、前読んでいた本から、「ヴィーコ」(中公新書)や「密林の語り部」(リョサ)を思い出した。言語の始源。
「マルコ福音書」にも語ることによって粗野な英語もスペイン語も充分ではない一家が変わっていく、そんなところが描かれる。
(2012 08/26)