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「死と乙女」 アリエル・ドルフマン
飯島みどり 訳 岩波文庫 岩波書店
「死と乙女」。ドルフマンの戯曲作品。1991年に初演されてから、各国で上演され続ける、という。
チリのピノチェト政権下の拘束・拷問を主題に据えたこの作品、正直、ブロツキー「大理石」のように実際の状況の関係性だけを抽出し単純な構図に落とし込んだ作品かと読む前は思っていたのだが。しかし実際は、かなり「ガチ」な現実あったことを直接書いているような作品であった。
ヘラルドの車のパンクを助けて家まできたロベルトという医師が、昔ヘラルドの妻パウリナに拷問と性迫害をした人物だと知る。
どうぞ中へ。いやはやまだ慣れていないもので。
慣れていない?
民主主義ってやつにね。夜中に家の扉をノックするのは友人であって、まさか-
(p27)
軍政期、こうしたノックの音は強制連行の合図だった。
いいですか、ヘラルド、私は平穏というものを知る男だ。趣味とするところは自宅で過ごすこと、ときに海辺の別荘にやって来ること。誰をも煩わせず、海を望んで腰を下ろし、味わい深い書を読み、音楽に耳を傾ける…
(p89)
とロベルトは語る。軍政期、街のあらゆるところで拷問を伴う刑務所のような施設があった。街中なので、拷問の声や音が筒抜けにならないように音楽をかけながら実行したという。だからその施設にいた人々にとっては「音楽が拷問の合図」になる。「死と乙女」(シューベルトの弦楽四重奏曲)もそこにかかる。
ついには徳という仮面は私の足許に剥がれ落ち、興奮が表に踊り出て私を、私を押し込め、自分が手を染めている所業の彼方へ、そこに広がる湿地とでもいうべきものの底へ、沈めてしまった…
(p115)
ロベルトの供述から。湿地というのが、まだ自分の中ではイメージがわかないのだが。
とりあえず解説から一文。
(権力者のテロルの)永続するそのありようは“連鎖”と呼び得るものだろうか。“連鎖”の語にうっかり攻守主客入れ換わると我々は錯覚しているのではないか。
(p209)
昨夜劇本編読んで、今日はドルフマンのあとがきと訳者解説。
(2023 10/10)