「計算する生命」 森田真生
新潮文庫 新潮社
蟹ブックスで購入。
(2024 01/13)
第1章「わかる」と「操る」
昨夜ちょっとだけ読む。まずは数の理解(指(デジタルの語源)を折って数える…人間の脳処理からすれば、手の指5本をまとめて動かす方が、1本だけ動かすより自動でできる運動なのだという)と数の歴史。
前に読んだ「ヴァレリーの哲学」の伊藤亜紗氏の別の本で、ピアノとかの例で同じようなことを言ってたような。
(もう一箇所どこか引用したかった(計算能力の辺り)けど…)
今日の分。
ここでいう「算用数字」は「0、1、2…」の表記を指す。元々人間はモノを触って操る方が(純粋な思考より)得意な動物(ではない動物などいるのか?)。
そのあとは算用数字の歴史。
(2024 01/15)
第1章終わりまで。
マイナス1をかけると正反逆になって絶対値はそのまま。数直線上で考えると、-1かけると数直線を180度回して反対側に移る。ならば半分回転したところで運動を止めたら、それが虚数…こうして複素数のガウス座標が出来上がる。
第1章「わかる」と「操る」。人間の発達でよく起こるのは、「操る」ことができるのに「わかる」ができないということ。例えば、上のp53の文で出てきた三次方程式の解の公式には「操る」ことができる根号のなかの負数が出てきている。それはその時点では、計算はできるけれど、それがどう位置づけられるのかはまだわからない。数直線からガウス座標に展開したところで気づくことができる。
…数学は変わり続ける…って、ドストエフスキーの「地下室の手記」の主人公に読ませておきたい。
(2024 01/17)
第2章「ユークリッド、デカルト、リーマン」
(実は昨晩読んだ分)
ユークリッド「原論」(紀元前300年くらい)を西欧で最初に取り入れたのは、実はイエズス会。クリストファー・クラヴィウス(1538-1612)。彼は、ユリウス暦からグレゴリオ暦へ変えた中心的人物でもある。イエズス会としては、多様性ではなく、永遠不変性を原論に見たのだろう。
このクラヴィウスのカリキュラムで学んだのがルネ・デカルト。彼はイエズス会のラフレーシュ学院に8年半通っていた。後に彼は、幾何学を作図によってではなく、代数によって普遍的に解くことを導入する。
続いてリーマン(ベルンハルト・リーマン(1826-1866))。
下の文は森田氏の実体験。
この本ざっと読んだだけで、この辺りの意味が自分にわかるわけはないけれど、空間という今まで自明だったものを問い直して再構成していこう、という傾向…だから「原論」の公準の一つ、「平行線は交わらない」が否定される空間も登場することになる。
(2024 01/22)
リーマンに代表される19世紀数学は、デカルトの明晰さから新たな概念の問い直しと形成に変わってきた。
第3章「数がつくった言語」
まずはいきなりカント「純粋理性批判」。前章からの問い。認識の確実さと拡張性の両立はその中で「アプリオリな総合判断はどのようにして可能か」と問われる。総合判断とは、論理的手続き以外に何かを用いて拡張的に概念形成していくということで、カントによればその代表格が数学なのだという。カントは先の拡張性を促す「何か」を直観だとしたが、後の展開はここを批判していく。
次の節のフレーゲは論理学を日常言語ではない「概念記法」を書いていく。そこでは「主語-述語」ではなく「項と関数」という見方をとる。関数はここでは「項とそれに対する値とを一意的に対応づける対応の法則」となり数式以外にも応用できる。前章のリーマンの複素関数の見方もそこに入る。
カント流の「直観」を削ぎ落としていく…20世紀哲学の論理実証主義はこの方向の哲学側の動きだったのかも。
(2024 01/24)
フレーゲのこうした点を、マイケル・ダメットは、いわゆる「言語論的展開」の先駆を見ている。
ただ、ほぼ同時に同様な研究に取り組んでいたバートランド・ラッセルから手紙が届く…そこには深く共感するが、「難点に逢着した」とある。それはフレーゲが数を定義するために用いた「概念の外延」。ラッセルによれば、「概念」から「概念の外延」への無闇な移行は矛盾を引き起こす、という。これがラッセルのパラドクス。
ここに人工知能研究の緖が開かれた。そこで…
第4章「計算する生命」
ここを原点として、先のラッセル、そしてホワイトヘッド、ヒルベルト、ゲーデルへと受け継がれる系譜があり、その先にチューリングがいるという。
哲学者ヒューバート・ドレイファス(1929-2017)は、人工知能研究の初期の道程が、今まで見てきたデカルト-カント-フレーゲという「伝統的合理主義哲学」の道筋を辿る「再発明」となった、そしてフレーゲの後、壁に突き合ったように、人工知能研究もおそらく壁に当たるだろうと言っている。
続いては(またもや)ヴィトゲンシュタイン。彼もフレーゲを師として、青年の頃面会してやり込められた時から書簡のやりとりをしていた。が、そんなフレーゲも「論理哲学論考」は理解できなかったらしく、ヴィトゲンシュタインは落胆したという。彼は山奥の学校教師を勤め(熱心に勤めていたが、たまに暴走して体罰などしたという)、死後まとめられた「哲学探究」はこれまで必要要素だった「規則」を問うていく。
ここの「規則に従う」と「規則に従っていると思う」は、この本はじめに出てきた、操るとわかると対応しているのか。とにかくこうなるとフレーゲ流の言語は疑問に付されることになる…
続いてはブルックス。
このロドニー・ブルックス(1954-)はオーストラリアのアデレード生まれ。何より今では、掃除ロボット「ルンバ」の生みの親ということで知られている。
知能や生命の隠喩として「計算」が正しい概念と言えるのかどうか。他の概念の方が隠喩として正しいかもしれない、とブルックスは考えている。
(2024 01/25)
今日読み終え。第4章の残りと終章。意外にそこより、あとがきと解説が長かった…
リーマンは前者を総合的、後者を分析的と呼ぶ(なんか個人的なイメージとは逆の名付けだけど、古代ギリシアからの用法なので)。リーマンは前者の向きの研究をしたヘルムホルツが、耳小骨が小さな音を発する、と恣意的な仮説をしのびこませたことを批判する。自分が思ったのは、後者を取った場合、耳は音を聴く構造体である、と仮定してしまうと、実際に耳は身体の傾きを感知する機能があるが、それを考慮に入れなそう(というか、身体のほとんどは偶然あるものをいろいろ利用していったものなので、そういう言ってしまえば「無駄」が相当ある)ということ。もちろん双方の突き合わせが重要なのだが。
終章「計算と生命の雑種」
ティモシー・モートン(1968-)の「ハイパーオブジェクト」…人間に比べ、時間的、空間的に圧倒的な広がりをもつ対象…森田氏はこの章を書いている時、この人の著作をずっと読んでいたという。
続いてはウンベルト・マトゥラーナ(1928-2021)、フランシスコ・ヴァレラ(1946-2001)…そう「知恵の樹」の。彼は最初、刺激と神経系の反応には一対一の対応があると仮定していた。しかし観察結果はそれに反していた。
生命が他律的ではなく自律的である、という認識はここから生まれた。
こうした危険性を指摘したものとして、キャシー・オニールの「数学破壊兵器」という本を挙げている。そこには様々なアルゴリズムに潜り込んでいる先入観や偏見を事例とともに紹介している。こうした統計集計結果は一見「客観的」と思われるだけに、この本はチェックしておきたい。
最後に、文庫版あとがきから、著者に大きな影響を与えたという池上高志氏の話から。
この自分の「スタイル」は…たぶんまだないままなのだろう…
解説は下西風澄氏。京都の鹿谷庵と名付けた森田氏の自宅の庭について書かれているのが印象的。
(2024 01/26)