見出し画像

「イギリス近代史講義」 川北稔

講談社現代新書  講談社

イギリス近代(16・17世紀辺り)の社会は、サーヴァントという徒弟修行が20歳くらいになるまで続き、その時期は独身と決められているので、徒弟が終わった時期にはまずまずの生活資金があるということ。
17世紀くらいからロンドンに人口が集中し、子供が親元に帰らないことが多かった為、親の世代の面倒は教区単位で救貧措置をするという、ある意味現代社会にも似た特有の問題があったということ。
「社交の季節」なるものがあって、その時期は農村部のジェントリ階級が家全体(要するにサーヴァントも)をロンドンに向かい、ロンドン在住の人々との交流をしていた(日本の参勤交代との相似点を指摘)。ぜいたく禁止令が1604年には世界で始めて発布されたということ。など。
(2011 01/24)

西インド諸島の砂糖プランター達は、現地には不在で、英国のみの高関税で守られていた生活(世界の市場で歯が立たない)。アメリカ植民地の綿花やタバコプランター達は現地在住、市場的にも目星が立ち独立する道を選んだ。ここが現在のアメリカと西インド諸島の差となる。
世界システム論で「奴隷貿易こそが産業革命を産んだ」と論じた研究者は、後にトリニダード・トバコの大統領となる。川北氏とも知り合いらしい。
(2011 02/03)

昨日日曜日に川北氏の「イギリス近代史講義」を久しぶりに続きを読み、読了した。最後のネタは、イギリスは衰退していたのか?ジェントリ階級を引き継いだシティ(ロンドン)はサッチャー政策を牽引したのか?そして、そもそも「衰退」とは悪いことなのか?
などなど…

この講談社現代新書の原稿は、普段の川北氏の講義と同じように、下書ノートも用意せずに7時間かけて編集者などにしゃべったものの記録だという。
(2011 02/07)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?