「アーレント=マッカーシー往復書簡」
キャロル・ブライトマン 編 佐藤佐智子 訳 叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局
読みかけの棚から
読みかけポイント:最初と気になるところだけ…
ハンナ・アーレント渡米後の、作家評論家のメアリー・マッカーシーとの往復書簡。アーレントの死後にみつかったものだが、それまでは周囲もそこまで関係が親密だとは知らなかったらしい。くしくも同じ6歳の時に父親を亡くしている。マッカーシーはアーレントに比べ奔放でアーレントはそこに惹かれたのか。
(2016 03/20)
アレント・マッカーシー往復書簡。アレントの「全体主義の起源」をマッカーシーが夢中になって読んでいる、というところから始まる。
どっちかの書簡かは忘れたけど、デヴィット・リースマンがなんか全く無理解な評をしたとか書いてある。今残る中にリースマンのそういう評は残っていないらしいのだけど…「孤独な群衆」にも大いに関わる内容だから、実際どうなのだろうか。
(2016 03/26)
ちょっと図書館内で拾い読みしたところでは、ベトナム戦争に反対する為、急ぎマッカーシーがアーレントに送った書簡。マッカーシーはこの当時、外交官を夫にしていた(3回目の結婚)ので、前はベトナム戦争批判もさすがにしにくかったらしいが、いよいよ反戦ムードが外交官達にも広がってきたので行くことを決意したという。
(2020 01/13)
1967年から(だったかな)の、マッカーシーがベトナムに行く辺りのところを読んでみる。アーレントはなんだかアドルノに嫌悪感抱いているらしいのだけど、それでいてハイデガーには逢いたいとか…自分にはよくわからない。アメリカでの不穏な空気に耐えられなくてヨーロッパに戻りたいと言っていたアーレントに対して、今こそアメリカのために残るべきと諭すマッカーシー。そのマッカーシーがハノイから送ったレポートを読んだアーレントは「(ハノイの風景を主に書いていた)この3章はとても素晴らしい」と書き送る。この後のマッカーシーによれば、他の章はアーレントには不満があったという…
そんなところ。
(2020 01/19)
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