「ハイチ震災日記 私のまわりのすべてが揺れる」 ダニー・ラフェリエール
立花英裕 訳 藤原書店
ハイチ震災日記
「私のまわりのすべてが揺れる」というのが原題。「ハイチ震災日記」というのは訳者が日本読者のために付けたもの。
作者ダニー・ラフェリエールは「ニグロと疲れないでセックスをする方法」が処女作(1985年)。図書館ではこの他「帰還の謎」(2009年)というのも見た。これは帰郷と父との対決というのがベースとなった作品だという。また「吾輩は日本作家である」というのも出していて、師匠が芭蕉なのだという。現モントリオール在住。
2010年1月12日16時ハイチで地震があった。その時、文学フェス参加の為、出版社編集長とともにハイチに来ていた作家は、レストランで伊勢海老を注文していたところだった。
解説に引かれた、ラフェリエール自身の言葉。この本も、地震災害の記録としてだけではなく、文学へのなんらかの提起をしようとしているように思えてくる。
(2020 10/15)
(2020 10/16)
日常世界から、世界を見る見方
「地震のことは僕の世代が書くから、おじさんは書かないで」と甥に言われた時の返答。
震災以前に貧困が社会の前提にある、こうした視点は日本では出てこないだろう。
(2020 10/17)
カナダ大使館の提供する飛行機(一緒にいた編集長はカナダ国籍を持っていないため乗れなかった)でケベックに戻り、モントリオールでのテレビに映るハイチの報道を見る生活。そしてルネおばさんが亡くなったことでまたハイチへ行く。
この本の主題の一つに、こうした「はびこる画一化された作られたイメージ」の打破が挙げられる。別のところでは「この地震を「ハイチ零年」として一からやり直せ」という批評家の言葉が、これまでの歴史を考えていないと切り返している。
最初の揺れと、次の揺れの間の、十秒間。
ルネおばさんは、賑やかなこの一族の中で唯一物静かな、ずっと本を読んでいる(特にツヴァイク)人だったという。
おばさんは昼は図書館の司書、帰ってからは本を読むが、時々長椅子に身を横たえ一、二時間じっとしていたこともあったという。内面の苦しさに沈溺していた。語り手は一回彼女になにを考えているのか、聞いてみたことがあった。そうしたら「言えないわ」…どうして…
本当は自分は、この消えてしまった世界の住人であったのではないだろうか、そうも考えてみる。
(2020 10/18)
母の椅子と神
ダニー・ラフェリエールの父は、元ポルトープランス(ハイチの首都)市長。彼は民主主義運動の中心となり、結果ニューヨークに単身亡命する。その時ダニーは田舎の町に避難する(「最初の亡命」だと語る。この小説の中でもその町を再訪する様子が出てくる。でハイチで政府に反対の立場を取る雑誌編集に入った彼は、やがてジャーナリストの友人が政府に暗殺されたのを見て、モントリオールに亡命する。
さて、本文の方は残りもう少し。
作者の母は椅子を直すように職人に頼もうとする。震災で他にいろいろ直すものがあって忙しいだろうに。母曰く、椅子がないと誰も自分のところを訪れようとしない、とのこと。
次の章では、「神の位置」が話題となる。それは…
(2020 10/19)
ハイチの芭蕉は黒い手帳を手に…
「ハイチ震災日記 私のまわりのすべてが揺れる」を読み終え。
10年間、ずっとハイチに地震が起こる可能性を警告し続けた作者の友人に、震災後再会。地震が起こった時どうだった?と聞くと。
そして、再び、地震が起こった時に滞在していたホテル・カリブに立つ。
特に()の中が気になる。立っていられるのが何故か、不意に分からなくなる感覚。共鳴しているものは、どこにあるのか。
そして、あの時は食べられなかった伊勢海老の料理が出てくる…
再生産というか複製されて増殖する情報を背に、「今、ここ」に見えるものだけを、あの黒い手帳に書きつける。ラフェリエールの創作源はここにあるのではないだろうか。地道にそれらを繋ぎ合わせてテクスト(織物)に仕立て上げていく。こういう姿勢は(たぶん)この人の他の作品においても中心にあるものではなかろうか。
(今、並行読みしている「チャパーエフと空虚」のペレーヴィンのように、虚構の物語の風呂敷を対象全体に覆わせる方法(読み始めた時点での印象でしかないが)とは違って)
あと、表紙のはみ出しているようなヤモリが印象深い。
(2020 10/20)
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