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「ハイチ震災日記 私のまわりのすべてが揺れる」 ダニー・ラフェリエール

立花英裕 訳  藤原書店

ハイチ震災日記

「私のまわりのすべてが揺れる」というのが原題。「ハイチ震災日記」というのは訳者が日本読者のために付けたもの。

作者ダニー・ラフェリエールは「ニグロと疲れないでセックスをする方法」が処女作(1985年)。図書館ではこの他「帰還の謎」(2009年)というのも見た。これは帰郷と父との対決というのがベースとなった作品だという。また「吾輩は日本作家である」というのも出していて、師匠が芭蕉なのだという。現モントリオール在住。

2010年1月12日16時ハイチで地震があった。その時、文学フェス参加の為、出版社編集長とともにハイチに来ていた作家は、レストランで伊勢海老を注文していたところだった。

 木の枝一本、花一輪、揺れていない。あの最初の日の夕刻、地震の揺れが四三回も続いたというのに。いまでもあの静けさが耳に残っている。
(p24-25)
 「私は、いつの日か一冊の本の中に入り込み、二度と出てこないことを夢見ていた。芭蕉と共に、それが私に訪れたのである」
(p225)


解説に引かれた、ラフェリエール自身の言葉。この本も、地震災害の記録としてだけではなく、文学へのなんらかの提起をしようとしているように思えてくる。
(2020 10/15)

 既に生活のリズムがあたりを支配している。どんな不幸も、この世界の貧困地帯の止むことのない日常活動を弛めることはできない。
(p45)


(2020 10/16)

日常世界から、世界を見る見方

 死がこれほど不意かつ大量に襲った以上、われわれの心から簡単に出て行くはずがない。あまりに巨大なので、われわれは悲嘆に投げこまれるどころか、むしろ酩酊にも似た感覚が徐々に昇ってくるのが感じられる。
(p66)
 ある本が書かれたからといって、別の本が出る幕がなくなるわけではないよ
(p68)


「地震のことは僕の世代が書くから、おじさんは書かないで」と甥に言われた時の返答。

 私にどうしても理解できないことは、日常生活の馴染みの道を踏み外すようなことを誰も試みないのはなぜなのかということだった。なにもわれわれを静止するものはない。牢獄も、カテドラルも、政府も、学校も、なくなった。何かをやらかしてみる時ではないか。その時はやってこないだろう。革命は可能だが、私は自分の席に座ったままである。
(p85)


震災以前に貧困が社会の前提にある、こうした視点は日本では出てこないだろう。
(2020 10/17)

カナダ大使館の提供する飛行機(一緒にいた編集長はカナダ国籍を持っていないため乗れなかった)でケベックに戻り、モントリオールでのテレビに映るハイチの報道を見る生活。そしてルネおばさんが亡くなったことでまたハイチへ行く。

 この語は適切な言葉ではない。なによりもまず、現代における困難極まりない試練の一つに立ち向かっているこの国の人々が示しているエネルギーと威厳を見れば分かることではないか。しかし、日一日とそれに抗して闘うのが厳しくなっている。誰かが「呪い」という言葉を電波に乗せれば、たちまち癌のように転移していく。
(p100)


この本の主題の一つに、こうした「はびこる画一化された作られたイメージ」の打破が挙げられる。別のところでは「この地震を「ハイチ零年」として一からやり直せ」という批評家の言葉が、これまでの歴史を考えていないと切り返している。

 一〇秒の間、私は一本の樹木か、一個の石か、一片の雲か、あるいは地震そのものになった。まちがいのないことは、私がもはや一文化の産物ではなかったことである。私には、自分が宇宙の一部であるという感覚が沁み渡ってきた。私の人生のもっとも貴重な一〇秒間。
(p113)


最初の揺れと、次の揺れの間の、十秒間。

ルネおばさんは、賑やかなこの一族の中で唯一物静かな、ずっと本を読んでいる(特にツヴァイク)人だったという。

 私は彼女を通して、田舎の小さな町で本ばかり読んでいる女性は秩序破壊的な面をもっていることを理解したものである。
(p133)


おばさんは昼は図書館の司書、帰ってからは本を読むが、時々長椅子に身を横たえ一、二時間じっとしていたこともあったという。内面の苦しさに沈溺していた。語り手は一回彼女になにを考えているのか、聞いてみたことがあった。そうしたら「言えないわ」…どうして…

 個人的なことだからよ。いまでは聞かれなくなった言葉である。憂愁も聞かれなくなった言葉だが。二つの言葉は互いによく似合っている。このような生活術は、われわれの世界からすっかり消えてしまった。
(p136)


本当は自分は、この消えてしまった世界の住人であったのではないだろうか、そうも考えてみる。
(2020 10/18)

母の椅子と神


ダニー・ラフェリエールの父は、元ポルトープランス(ハイチの首都)市長。彼は民主主義運動の中心となり、結果ニューヨークに単身亡命する。その時ダニーは田舎の町に避難する(「最初の亡命」だと語る。この小説の中でもその町を再訪する様子が出てくる。でハイチで政府に反対の立場を取る雑誌編集に入った彼は、やがてジャーナリストの友人が政府に暗殺されたのを見て、モントリオールに亡命する。
さて、本文の方は残りもう少し。

作者の母は椅子を直すように職人に頼もうとする。震災で他にいろいろ直すものがあって忙しいだろうに。母曰く、椅子がないと誰も自分のところを訪れようとしない、とのこと。
次の章では、「神の位置」が話題となる。それは…

 精神的なものとはなんの繋がりもないのだ。それは母の椅子のようなものだ。持っていたほうがいい。いつ誰が訪問するか分からないのだから。
(p155)


(2020 10/19)

ハイチの芭蕉は黒い手帳を手に…


「ハイチ震災日記 私のまわりのすべてが揺れる」を読み終え。
10年間、ずっとハイチに地震が起こる可能性を警告し続けた作者の友人に、震災後再会。地震が起こった時どうだった?と聞くと。

 正直言ってね、心底ほっとしたよ。僕の頭がおかしくないことが証明されたのだもの。私は彼の眼差しの内に錯乱の閃光のようなものがよぎるのを見た。彼はあらゆる努力をして、人々に警告を発したのだ。だが聞いてもらえなかった。逆に物笑いの種にされたのだ。
(p203)


そして、再び、地震が起こった時に滞在していたホテル・カリブに立つ。

 この場所をもう一度見るのは奇妙な気分だ。過去に片足を突っ込み(何かが共鳴している)、他方の足を現在に置いている感覚。体が軽く揺すられる。
(p214)


特に()の中が気になる。立っていられるのが何故か、不意に分からなくなる感覚。共鳴しているものは、どこにあるのか。
そして、あの時は食べられなかった伊勢海老の料理が出てくる…
再生産というか複製されて増殖する情報を背に、「今、ここ」に見えるものだけを、あの黒い手帳に書きつける。ラフェリエールの創作源はここにあるのではないだろうか。地道にそれらを繋ぎ合わせてテクスト(織物)に仕立て上げていく。こういう姿勢は(たぶん)この人の他の作品においても中心にあるものではなかろうか。
(今、並行読みしている「チャパーエフと空虚」のペレーヴィンのように、虚構の物語の風呂敷を対象全体に覆わせる方法(読み始めた時点での印象でしかないが)とは違って)

あと、表紙のはみ出しているようなヤモリが印象深い。
(2020 10/20)

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