吉用宣二 訳 水声社
(訳者の「吉」の字は実際には下が長い)
ノーテボーム作品翻訳2冊。両者とも同じ訳者、版元。両者とも日本に関係有り。ノーテボームは大の日本好きで何回も来たことがあるそう。
(2019 05/05)
結構ノーテボーム作品紹介続いているらしく、今日神保町三省堂で見た本は「サンティアゴへの回り道」。スペイン、サンティアゴ巡礼に様々な要素をくっつけたようなもの?
(5月に見たのはたぶん「儀式」と「木犀!」)
(2019 07/14)
新宿紀伊国屋書店にて購入
ナンセンス・スペイン
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の指跡が残る大理石の柱についての考察で、この旅行記?の幕を上げた後、ノーテボームはイタリアこそが自分の無意識的に探していたものが見つかったところだ、と述べる…では、スペインは?
(2020 02/11)
「アラゴンを通りソリアへ」
彼とは一旅行者(ノーテボーム)のことだが、ちょっと前にはイスラム勢力を追い出し、多くの植民地を獲得したが「何を始めてよいのか分からな」かったのがスペインだった、と書いてある。このスペインとノーテボーム自身の重ね合わせというのは、この旅行記全体のテーゼとなる。
スペインでは、ダリの描く時計のように時が溶けている。
(2020 08/16)
「死と歴史の世界」
前章のノーテボームがスペインの小さな村にいた時の、月面着陸の報道を見ながら過ごした…という記述とかかっている。
前半は、スペイン人が党派的で国でまとまることがないということ、そしてそれを受けつつ、自身とスペインという存在の重なりというこの本全体のテーマに結びつけ、後半に移り、現実の即物的悩みに落として笑わせる。ただその苦笑のあと、その旅人の困惑は読者自身としても引き受けているのではないかと、若干の冷たいものも感じさせながら。
(2020 08/24)
「隠された宝」ほか
過去と見捨てられたもの。そこから何が書けるのかが作家としての使命なのだろう。
(2020 08/27)
スペインの小さな村の教会に入る。外の空と中の空。
(2020 08/29)
ベラスケス「侍女たち」
この絵のことにじっくり取り組まない方がいいという忠告や、バンコックの娼館の鏡で覆われた飾り窓の部屋など入れながら、視線と存在、次元の違いなどを巧みに感じさせてくれる。
(2020 08/31)
昨日ベラスケス、今日スルバラン
これについて考えるのには、ここにあるうちレンブラントやスルバランより、黒人彫刻の彫刻家の方が考えやすいかもしれない。
さてさて、スルバラン。なんか聞いたことあるようなないような…というくらいの印象なのだけど、ノーテボームは彼の絵に因縁めいた惹かれるものがあるらしい。調べてみると、生年没年、1598-1664。日本っぽく言えば江戸初期の人。ベラスケスと同時代、彼の推薦もあった。
明と暗の対比が特徴で「スペインのカラバッジョ」とも言われるらしい、けどカラバッジョよりは保守的でお決まりのテーマしか描かない。ノーテボームがひく、人物の衣服の襞の質感もいいのだが、自分としては静物画がとても気になる…柔らかさを取り入れたムリーリョが登場するに及び、彼の作風は徐々に取り残されていく。
とのこと。
(2020 09/01)
小休憩…
(2020 09/02)
幼年期への回り道
上の文はフェリペ2世とエスコリアル宮殿について。
また、今日読んだこの2編においては、ノーテボームのオランダ人としての幼年時代の思い出が忍び込んでいる。オランダに圧政を敷いたアルバ公を派遣したフェリペ2世という教育を受けて来た(だから「フェリペ2世はオランダを「救おう」としていた」というスペイン側の記述に唖然とする)、またフランチェスコ修道院での?受けた教育。今の作家ノーテボームと当時のノーテボーム少年が、スペインの無時間で出会う…
(2020 09/07)
様々な時間の様態
「神の記憶の中の瞬間」(一昨日)と「ナバーラの冬の日々」(昨日)
確か?ピサロの生まれ故郷のこの街。新世界で得られた富を故郷の街に宮殿建てた、そして廃墟となった。これらの景観もさることながら、このp159の文、「これから話す物語」に繋がっているのかな。
ここ傍点も付いてるし、トドロフ「他者の記号学」踏まえているよね?
時間が可視化されたような、その味わい。
行先のない巡礼者だったら、「回り道」ですらないではないか。さっきのp159の文がノーテボームの円環技法だったとすれば、こっちのは連続微分によって取りこぼされる存在の落とし穴。
ゴシックの始まり、ロマネスクの綻び。ノーテボームが観察だけでこんなCGのような動きを捉えられるのだとしたら…
(2020/09/10)
鳩は知らない…
ノーテボームは分厚い40年くらい前に書かれたスペイン教会建築の大著を持ってスペインを巡る。章名にあるホワイトヒルはその著書、研究者。先達が村で鍵を借りて見た教会内部を、後年の追随者の時には、その鍵借りた村民がいなくなっている。と、そんな2つの章。
土曜日読んだ分。「ウォルター・ミュアー・ホワイトヒル」から。
続いて今日読んだ「鳩がそれを知っているかもしれない」から。
(2020 09/15)
歴史への観察光線
「事実であったところのもの」それが歴史と呼ばれるもの…
ちょっと前のところもそうだったけど、ここもシュレディンガーの猫を思い出す。
アストゥリアス地方の記述。この地方出身のベアトゥスという人物が、後に中世様々な本に展開され、またサンティアゴへの道の教会での、読むための彫刻のイメージとして多く使用されたものを書く。そしてこのベアトゥスという人物、当時トレドで中心的であった、キリスト養子論というキリストは神ではなく、神への養子であるという派と争い、主張を通した人物。
(2020 09/17)
ステラマリアとクレオーン
再び海の星(ステラマリア)…ノーテボームのフルネームには「マリア」が入っているという。
「過去は常に現在的であるが、一方で現在的ではない」の章途中で軽く中断してたのを、章最初から読み始める。
レオンのサン・イシドロ教会。ノーテボームは「いくつかのものに再会するために」訪れる。
「クレオーンのための謎」。バスクETAのテロリズムを、自爆テロの同志を埋葬するアンティゴネーと、それを禁止する国家クレオーンの対比として仮に当て嵌め、ヘーゲル、ブレヒト、シャルル・モーラス、デーブーリンなどの「アンティゴネー」解釈を援用してみる。これら解釈のうち後ろの二つは「じつはクレオーンの方が反逆者なのだ」と指摘する。
この解釈は自分にとって説得力ある。ちょっとスペインとは離れるけど、この戯曲クレオーンのための劇なのではなかろうか、という感じは少し持っていたから。
でも、この解釈もヘーゲルの上から見た正反合の弁証法も、スペインのクレオーンのためにはならない…
(2020 09/23)
「レオン」は前半は山奥谷の末端のモサラベ式教会、後半はなぜかボルヘスについての随想…だいたいあと100ページ。
(2020 09/24)
「私はとにかくスペインに身を捧げた」と「マチャドの風景」
オランダはスペインとの戦争をして独立した。アルバ家というのはそこでオランダ勢力を弾圧した名前。南米ベネズエラの北にあるABCのアルバとは関係あるのかな。
でも…
…「自分を際立たせる」の自分って誰だろう?
「ロルカからウベダへ、ある午後の夢」
ロマン主義的な、個人の時代。権力から自立し守られている個人の尊厳というもの。それが「一瞬だけ」。
(2020 09/26)
新たな船出、それとも円環
「グラナダからの別れ-盲人と文字」
噴水の水を見た詩から。グラナダのイスラム宮殿で、もう読むことはもとより、そこに字があることすら判別できなくなっている詩。ノーテボームはそこで、グラナダを去るムスリムになり変わる試行をする…
次は、実際のムスリムの記録から。レコンキスタとそれによるイスラム教徒・ユダヤ教徒の追放は自分にとっても追いかけてるテーマの一つなのだが、こういう生の記録は初めてかもしれない。
続いて「時の終わりへの途上に」
この章の最後はゴメラ島で終わる。そういえば、この本の冒頭は島からスペイン本土への船旅だったな。
そして「到着」。
普通の旅人であれば、この章だけで「サンティアゴへの回り道」と名付けえるものなのだけど。
この章でもさまざまな風景が実に微細に描かれる。廃墟の村、サウラの壁画、冬の丘の上にある教会を訪れてスリップしたのを助けてもらった人のところに自著があるのを見、再会した時も血のソーセージを持ってきた食堂の親父を見て三回目はどうかと考え、サンティアゴの教会の天使ダニエル像の微笑みに八百年前に初めての心理的表現移行を想像したり…
夜、旅人はサンティアゴ・デ・コンポステーラの教会前広場にいる。
そしてスペイン全体が大陸から切り離され、夜の海へ旅立っていく。それとともにこれまでのさまざまな主題も。日本と同じく西の海は冥土へと続く。そういえば、「これから話す物語」でも最初と最後は船旅だった…
肉体は一つしかない。しかしさまざまな時代のさまざまな場所の人に移ることのできる可能性を、旅人は秘めている。その人の内側に、無限に。
こういった体験なら、自分を振り返ってみても、旧東海道を歩いた時や、山道を縦走している時など、そしてイスタンブールでボスポラス海峡の城壁から眺めた時や、ベルギーのトゥルネーの中央広場の夜や、プラハ旧市街広場でカフカの生地見た時、ポーランドの平原で第二次世界大戦後の国境線移動による人々の移動を思い描いたこと…など、時々何かが見える時がある。それが、この作品冒頭の文で述べられていたことなのだろう。
…とにかく、(分からないところも多かったけれど)読み終えるのが惜しかった。
(2020 09/27)
おまけその1
出典は、「世界の書店を旅する」ホルヘ・カリオン 野中邦子訳 白水社…から、ノーテボームの文章
「サンチアゴへの回り道」での最後の描写を思い出す。西の海に流れていく陸という情景はノーテボームの固定観念なのかも。
(2021 08/30)
おまけその2
ジョゼ・サラマーゴの「石の筏」(1986)という作品は、ピレネー山脈でイベリア半島がちぎれ、アフリカと南米の間に留まる、という話。「ポルトガルのEU加盟に反対している作品なのでは」とか評されたらしい(実際は知らないけれど…ただサラマーゴ自身は、スペインとポルトガルが統合すべきだ、と考えているみたい)
とにかく、ナポレオン以来?こういう空想は連綿と続いている。
(2021 11/04)
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