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「ウールフ、黒い湖」 ヘラ・S・ハーセ

國森由美子 訳  作品社

「読みかけの棚」にあったこの本、読み終わり。
その時の記録はこちら ↓


訳者國森由美子氏について

ネットでちょっとだけ調べる。元々は音大卒で、今は音楽家兼翻訳家…でも、翻訳家の比重が多いという(音楽教室の生徒教えて、孤独な翻訳の仕事とバランスとっているとか)。夫も日本からオランダに来たオランダ語教師。子供もコーディネーターなどしているらしい。
訳書は、この「ウールフ」が最初で、大正期の日本を訪れたオランダ人ルイ・クペールスの旅行記「オランダの文豪が見た大正期の日本」(作品社)、同じくクペールスの日本をの民話等を題材にした小品集「慈悲の糸」(作品社)、子供のできない夫婦を描く「アントワネット」、そして酪農一家の不可解な話「不快な夕闇」(早川書房)。
そして、今月末のヨーロッパ文芸フェスティバル(11/25)に登壇の為来日予定。
(2023 11/13)

タラガ・ヒドゥン

 一日のうち、父が茶畑を見まわったり工場の隣にある事務所で仕事をしたりする間の長い時を、母とシドゥリスは屋敷裏のテラスで縫い物を手に親密なやりとりに興じながら、女どうしならではの体験や不安、願望、また、ありとあらゆる細かな感情や思いを語り合っていた。
(p7)


シドゥリスはウールフの母。数週間しか誕生が違わない語り手(オランダ系)とウールフ(東インド人)の強い絆はこうして生まれる前から育まれていた。これが当時普通だったのかどうかはよくわからないけれど、この物語の原風景としてよく読者に印象づけられる。

 泳いでも大丈夫なのは、筏の周りだけです。水草が人を捕らえて絡みついてしまう、それで溺れるんです。わたしはタラガ・ヒドゥンをよく心得ています
(p31)


タラガ・ヒドゥンという湖に夜泳ぎに出かける。この言葉はウールフの父ドゥポのもの。湖に竹の筏を浮かべていくのだが、大人たちがはしゃいで、それを見に行った語り手が腐った竹を踏み抜いて湖に落ちて筏は水没する…「黒い湖」の湖は、ウールフの瞳でもあるし、この湖のことでもあるから、ここにはこの後の展開を象徴する何かがあると思われるのだが、まだ判然としていない。
(2023 11/26)

語り手の父とウールフの描き方

上で述べた「黒い湖」が何なのかという点について、よく見れば(たぶん)原題は「ウールフ」のみであり「黒い湖」は國森氏がつけた副題の可能性もある。あとがきよく読もう…
物語も中盤になって、どうも自分は語り手やウールフより?父親が気になってきた。

 父の思いはどこか別のところ、仕事やぼくには想像のつかないような物事にあった。ぼくは父のことも、また、父がなにを考えているのかも、なにも知らなかった。父はさらに痩せ、顔はいくらかくすんでいた。
(p54)

 夕食後、父は中の間にいることが多く、必需品あるいは日用品のみを残してあらゆるものがはぎ取られたそこは、ホテルの一室のように個性の感じられない印象を醸し出していた。
(p55)


前の湖の筏の一件の頃から、語り手の家庭教師ボリンガー先生と母は関係を深め、母は「無期限で旅行に出る」ことになった。父の受けたダメージは語り手や読者が考えるよりかなり大きかったのではあるまいか。

 ウールフはぼくの友だちだった。おおよそ生まれてこのかたそばにいて、ぼくという生のあらゆる局面、あらゆる思考や体験を共有してきた、唯一の生きた存在なのだ。
(p65)


冒頭p7の文も想起される。ただ、今日読んだ辺りから、ウールフの方は果たしてどうだったのだろう、という考えがちらほら浮かぶ。この作品は徹底的に語り手(オランダ系)から書かれていて、ウールフは語り手が覗き込んだ像になっている。作者はウールフを直接覗かない(それをしないと作品のラストが成り立たない)。この作品こそ、ウールフを視点人物にして書き直す価値がありそうだ。

細かいとこだけど、p64のリダ(語り手と(何故か)ウールフの下宿先)の家の記述、「フェールウェ地方、あるいはラーレンやブラーリクムのような典型的なオランダの町に建っていたとしてもおかしくないほど」、ここまで語り手はオランダは訪れたことないはずだけど、どうしてわかるのかな。答えの一つは、なんらかの写真とか本とかが家にあってそれを見た、という可能性。もっとありそうなのは、この語り全体が語り手のかなり後年から行われているというもの。だけど、その場合、もう少し上記の記述に「10年後に訪れた」とかなんとか書いてあってもよさそうな気がする。
それからリダは何かウールフに興味津々。展開もリダという人物もまだ読めない…
(2023 11/27)

受動的な二人

 前にも述べたように、ウールフは受動的だった。ウールフは、過去にクボン・ジャティに住むことやぼくとの関わりを受け入れていたのと同じようにして、自分に与えられた道を歩んでいたのだった。
(p95)


ここまで読んできて、そこまで「受動的」とは思っていなかったけれど、振り返ってみればそんな気も。この時は「アメリカで医者を開業したい」と、トルコ帽もかぶらずに言っていたけど、その後アブドゥラー・ハルディンというアラブ系の青年の影響でまたトルコ帽をつけて独立抗争に参加するのだ。語り手も結構受動的だけどね。

 父は元気で満足そうだった。いまや二重あごになり、贅肉が襟首まで垂れ下がったその様は、奇妙なことに、ウールフとぼくが子どものころによく捕まえた大きなカエルを彷彿とさせた。
(p101)


語り手の父親、昔は太ってなかったと思うが。再婚して農場を復活させている。そして久しぶりに帰った時の描写に唐突に現れるこの文章。父と子、象徴と役割交換とかいろいろ言えそうな文章だけど…また「黒い湖」の意味するところとともにゆっくり考えたい。
(2023 11/28)

ウールフの眼の底には…

 その瞬間、彼らにとってのぼくは、二人が全身全霊をかけて背を向けたものの象徴、それを人格化した存在となっていた。ぼくは、この静かな裏のテラスで、ともすれば逃げていきそうになる現実をなんとか摑まえていようと必死だった。
(p114)


二人(ウールフとアブドゥラー)にとって既に語り手「ぼく」は個性を失ったレッテルになりかけている。一方「ぼく」は現状把握はもとよりそこで自分を見失わないように過ごすだけで精一杯。ただ、まだリダの立ち位置がよくわからない。二人にとって(特にウールフにとって)リダはただの金づるではない人格を持ち、リダ(自分から東インドへ来た)はウールフに惚れている以上に何かがありそう。

 青年は激昂しながら言った。「行け、おまえはここには関係ないんだ」その目はタラガ・ヒドゥンの水面のように黒く光り輝き、同時に、奥底に秘めたものを明かすまいとしているかのようでもあった。
(p124)


上で「黒い湖」について考えてみたい、と言っていたのでここを挙げてみた。タラガ・ヒドゥンの底には水草があって、そこにウールフの父ドゥポは引き摺り込まれた。このラストの場面はp114の時以上に変化していて、ウールフは相手を最早誰とも思っていないのだが、奥底には何が潜んでいるのか。

あとがき2種


というわけでまずは本編読み終わり。
おまけ?の「あとがき ウールフと創造の自由」では、タラガ・ヒドゥンのモデルとなったタラガ・ワルナは結構な観光地で「色彩の湖」と言われているように黒だけでなく時間によって変化する。
また1976年にジャカルタでインドネシアの学生を前に講演した時には、ウールフというのは人の名前には用いられず、埋葬とか穴を埋めるとかの意味だと言われた。その時は「その名前は自然に思い浮かんだものだ」と答えたのだが、「茶畑の紳士たち」(1992)で用いた古文書の中の手紙に、ウールフという言葉が地すべりの意味で使われているのを見つける。

 地すべりとは、譬えて言えば、足元を奪い、かつてあったものをすべて埋め尽くし、跡形もなくする変貌のことである。そして、その意味において〈ウールフ〉とは、わたしの生まれ故郷との訣別の謂いにほかならない。
(p133)


訳者のあとがきには、ヘラ・S・ハーセ(へレーネ・セラフィア・ハーセ)の詳しい経歴が書かれている。そこから2箇所。

前に挙げたp64の「フェールウェ地方、あるいはラーレンやブラーリクムのような典型的なオランダの町に建っていたとしてもおかしくないほど」という箇所は、作者ハーセ自身がオランダに一時帰国した時に住んでいた町の近所だったらしい。ここはわざと茶目っけ入れて忍び込ませたのか(真偽はともかくそう考えた方が楽しそう)。

古くから様々な読書や文化に親しんでいたハーセだが、1938年オランダに渡り、その中でも好みだった北欧神話を研究するために北欧諸語を学んでいたのだが、ナチスが北欧神話を自身のプロパガンダに流用するのを見て嫌になって専攻を変えたらしい。時代がもう少し良ければ、北欧神話研究家ヘラ・S・ハーセが生まれていたのかも。
(2023 11/29)

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