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「旅の問いかけ」 ミシェル・ド・クレッツァー

有満保江・佐藤渉 訳  オーストラリア現代文学傑作選  現代企画室


大船のポルべニールブックストアで購入。
(2023 05/03)

ローラとラヴィの章が交互に出てくる構成?


最初の2ページは、ローラの双子の兄(8歳違い)が、ローラを産んで間もなく亡くなったことを受けて、ローラを殺そうとした、というなかなかにいきなりな内容。この後、ローラは生涯にわたり、年に一か二度、水に浸かった夢を見ることになる。

 彼女は何かに掴まれ、次の瞬間解放される。それはとてもすばらしい夢だったが、目覚めるといつも少し悲しくなるのだった。最高潮を迎える前に終わってしまったという感覚にとらわれて。
(p8)


ビオイ=カサーレス「英雄たちの夢」を思い出す、最高潮を迎える前に終わる夢。夢の先を探し回る旅。あちらもこちらも、最高潮そのものは死。
(2023 05/05)

象徴と比喩

ラヴィ編最初の文章。

 動きの緩慢な親を引っ張る子どものように、海が忍耐づよく陸地を引っ張っている。あらゆる音の背後にその音が響いていた。ラヴィの人生は、その変化の囁きにあわせて進んでいった。
(p15)


ラヴィ編全体を規定する音であると同時に、親と子というローラ編も合わせたぶんこの物語全体のテーマを、比喩という形でさりげなく提示している。
ローラはオーストラリア、シドニーの女性、ラヴィはスリランカコロンボ郊外の男性。読んでいる序盤では子どもであるこの二人の人生はこれから交差するのだろうか。
あと、ローラ編にもラヴィ編にも住居に関する考察というか空想、家の中の生活とか建築そのものの性格とか建築予定地にどんな家が建ってどういう生活を送るのか、とか。これもずっと変奏され続いていくテーマになるのだろう。

 ときには突如襲いかかる豪雨が街を興奮状態に陥れることもあった。時刻表と通勤者たちは混乱の渦に投げ込まれ、信号は止まり、街路には骨の折れた傘が散乱する。そんなときのシドニーは、効率的な西洋の都市であることをすっかり忘れていた。
(p19)

 嵐が過ぎると歩道は輝きを増し、華やいだ。そこかしこで、石の表面がゴキブリの背のような艶を帯びた。
 焼けつくような日の午後には、陽射しがまぶしい光の帯となって街路を縛り上げた。
(p20)


上の二つはローラ編。とにかく比喩とか技巧が楽しい。時刻表と通勤者を並列させたり、街路が縛り上げられたり…味わい尽くすのにもってこいの一冊。

地理を学んでも…


次はラヴィ。そろそろ針路を決める頃らしいのだが…

 修道士は唇を横にきゅっと引いて、地理を学んでもあまり将来の役には立たないのだよと言い聞かせた。
(p31)


こうラヴィに言って聞かせる…この修道士は地理大好きな人。

 彼女はその小説にすっかり引き込まれ、夢見心地で読んでいた。物質が腐敗していく過程を一定の間隔で撮影したフィルムを逆回転で再生するように、授業で主題を解き明かすために細切れにされてしまった小説が全体像を取り戻していった。彼女は自分の進むべき方向を模索して、手引書みたいに小説を読んでいた。
(p41)


視覚芸術(インスタレーション的なもの)を専攻し作品をとある賞に出品しているローラだが、手先仕事でなんとかなっているそちらより、これから向かう方向はこの分野なのか。そして、この文章にはクレッツァーの実体験が含まれているのか。とにかく比喩が巧み。
(2023 05/06)

スリランカとインドネシア


昨夜寝る前にちょっとだけ読んだところは、ラヴィ編。1983年、スリランカの内戦。ラヴィの友達デブレラの家庭も襲撃を受けて、その友達はノルウェーかデンマークに移住した。自分のイメージではスリランカ内戦は1980年代後半くらいだと思っていたけれど…

 ラヴィは両手を宙に掲げた。十本の指の先で彼の存在は終わっていた。
(p48)


これも惹かれるなあ…
一方ローラ編。叔母のヘスターが亡くなって、結構な遺産をローラに遺し、それを資金にローラは旅に出る(ということでテーマの「旅」の始まり)。インドネシア、バリ島から。

 旅行者であるということは、いつも遅れて到着することにほかならない。
(p60)


これ、賛同する人多いだろう。旅行者に知られる頃には既に観光地化され過ぎている…
あと、ローラ編でもラヴィ編でも、ポリスあるいはスティングが結構出てくる。ビートルズ始め有名バンドが出てくる現代文学は多いのだけど、ポリスは初めて…これからこのネタ発展するのかな。
(2023 05/08)

オーストラリアと大西洋

ラヴィ編。いよいよ内戦が始まり観光客は消え去り、それを見込んだホテルは立入禁止となり、開発業者は自殺した。そんなホテルを眺めるラヴィ。

 このホテルの長いバルコニーにはデッキのような雰囲気があり、船を思わせた。ある夜、このホテルがもやいを解いてひっそりと出航し、キッチンや寝室、それに会議場が波におだやかに揺られ、干上がっていたプールが満々と水を湛える情景をラヴィは思い描くことができた。
(p85)


あとでラヴィが旅に出る時はこんな船に乗ることになるのかな。
ローラ編。イタリア→フランス→スペイン→ポルトガルと地中海に沿って旅している、らしいのだが町外れのゲストハウスの近くで陰々滅々としていることが多く、どこを回っているのかが見えてこない。そんな中でも、印象深い表現多し。

 みんなで不平とバゲットを薄切りにして分かちあった。
(p91)

 かつてはこの港から旅立っていった船が、世界を縮めると同時に拡大し、近代的な地図に再配置したのだ。そして、彼らの情熱的な利潤追求と地図製作の欲望のどこかで、オーストラリア大陸はその輪郭が明らかになるのを待っていたのだ。
(p95)

 はるか眼下には自堕落な女のように緩慢な大西洋が迫り、岸に沿って灰色のぼろきれをこすりつけていた。
(p97)


今日は次のラヴィ編1ページ(p98)まで。その僅か1ページでラヴィは結婚し子供も生まれる…
(2023 05/10)

ラヴィは母校でワープロ教師となる。子供の頃は先生を一様に見ていたが、大人になって戻ってくると、それぞればらつきがあることがわかってくる。それにイグナティウス修道士(地理の)は難民キャンプに行ってしまったと聞かされる。

 自明の真実のように思われたことがらが、この先どれほど崩れ去っていくのだろう。人生はなんと無駄が多いことか。すべてが摩耗したあとに残る最後の眺めには、段ボールの書き割り以上の実体があるのだろうか。これからさまざまな認識の修正が待っていると思うと、ラヴィは疲れを覚え、悲しくなった。
(p106)


そういえば、この時期、ロンドンではローラがワープロを習っている。しかも、スリランカの男と知り合っているし。
(2023 05/11)

シオ・ニューマン

今日読んだところは、ローラとラヴィについで重要人物らしいシオ・ニューマンが出てくるところ。シオの母親アナは、どうやら6歳の時にロンドンに、キンダートトランスポート作戦というドイツからの救出作戦でやってきた。彼女の家族はホロコーストで殺されたという。
ここでは、言外の情報を匂わす表現を2箇所。p123に「あと3日でハムステッドを離れることになっていた」と書いてありながら、すぐ後に「何か月も経ってからだった」と断りもなく書いている。最初の文読んだ時に、何かそうならないだろう気配を感じとることができるか。
もう一箇所はこんな文章。

 彼はアル中ではなかった。あるいは正確な意味でのアル中ではなかったと言うべきか。いずれにせよ、まだアル中ではなかった。当時の彼はワインしか飲まなかったが、飲むと饒舌になった。いったん酔うと、長広舌をふるった。しかし、知り合ったころは、彼の話は思いもよらぬ方向に展開していくことはあっても、同じところを堂々巡りすることはなかった。
(p127)


もうこの先の展開、シオの行く末が手に取るようにわかるではないか。そしてその行く末の原因の一旦はローラにもあるということも。
(2023 05/12)

芋虫の存在

 観光客の写真を撮るのは初めてではなかったが、いつもラヴィはシャッターを切るまでたっぷり時間をかけた。そんなときには無意識の、ほとんど狂気ともいえる願望が彼の中で渦巻いていた。自分の存在を認めてほしいという、単純で抑えがたい人間らしい欲求。
(p142)

 ほら、戦争に動員された何百万という兵士のことを考えてごらん。それから、そうした兵士によって住む場所を奪われた人たちのことを。今日の世界は、ようやくたどり着いた場所に根を下ろすことができず、かつて帰属していた場所を思い続ける人たちであふれている
(p146-147)


これらはシオの言葉。
一方、そんなシオは…

 シオの家には花や果物の絵がかかっていたが、その熟れ切った外見は内側で成長を続けている芋虫の存在をほのめかしていた。シオもそうだった。熟成が進み、彼の魅力的な外見が内面の腐敗を示し始める段階に達していた。
(p149)


p142の承認の欲求と、それが満たされないまま閉じ込められてしまったようなp149の芋虫。20ページほど読んでこんな表現がてんこ盛り…
困った小説(笑)
(2023 05/13)

夢のへりにいる人物

ローラ編では、ロンドンからナポリへ移住して、英語教師兼旅行誌の取材をしている。そんな中、シオが来て最後に結婚を申し込むが、ローラは断ってしまう。
ラヴィ編では、妻マリーニが働くNGOにイギリス系(でタミルの血も入っている?)女性が就任し、徐々にマリーニは彼女のフラットにいる時間が長くなる。ラヴィはこの二人の仲を疑う。

ローラ編の話。画廊を開いているマルコという男が、オーストラリアの北の島の住民が作っている木の柱を、レプリカ作って売っている。そうしたらある評論家が「実際はその島では立てられたら朽ちるままするはずなのに、真新しいレプリカには何の意味もない」ということを言って、返品がくるという話をする。これ、後のヘンリー・ジェイムズの話題とも重なるような気も。それに、オリジナルのオーストラリアの島の木の柱にはアウラがあるのに、マルコのレプリカには消え失せている、ベンヤミンの複製芸術論とも通じるところがある。アウラが消えてかかっている世の中だから、それを求めるというような。

 夢のへりに隠れていて、決して顔を見せようとしない人物みたいじゃないか
(p197)


これもシオの言葉。シオの言葉は少ないけれど何かこの作品全体を貫くものであることが多い。この作品は、ローラ編とラヴィ編が交互に出てくるが、ローラにとってのラヴィ、ラヴィにとってのローラはまさにこういう夢のへりの人物なのではないだろうか。作者クレッツァーの経歴とも比べてもそう思う。
あと、この作品では、現実の旅の他に、さまざまな架空の旅(シオの記憶の旅も、ガイドブックを見たり記事書いたりするのも←クレッツァー自身、ロンリープラネットで働いていたという)が描かれる。そのうちでも重点が置かれているのがインターネット。同じ旅(移動)をテーマにした小説、トカルチュクの「逃亡派」に比べるとその比重は大きいとも思う。

 ネズミが空中ブランコのような電話線のケーブルを軽やかに駆け抜けた。
(p207)


というような、些細な文章にも気になってしまう。

 彼自身の絶頂にはヴァーチャルなところはひとつもなかった。彼は自分の意識と幻想を直に接続していた。彼は同時に目撃者であり、参加者であり、演出家だった。肉体が石のように固くなる瞬間でさえ、漂流する身体が何の苦もなく形をとり、溶解するのを感じていた。
(p209)


ここまで来るとよくわからなくなってくる。ラヴィがマリーニ達の同性愛的関係を感じて、それに対抗?して、わざと女性として参加したネット内での関係。漂うのは本当に現実から離れているからなのか。時空からの完全離脱は、ネットにおいても到達できない点なのではなかろうか。
(2023 05/14)

ノスタルジア

今日読んだところで、ローラ編、ラヴィ編のそれぞれ◯◯年代という章題が終わり、次から◯◯年の章題になる。
という今日のところの事件は、ラヴィの妻子マリーニとヒランの殺害。p175の(珍しく)「二連の祭壇画」なる小題が付いているところで、「結婚生活最後の年」とか書かれていたから何かあるのだろうな、とは思っていたのだが…
ラヴィはフリーダ(マリーニの上司)のフラットに住むようになる(ラヴィ自身にも危険が迫っている)。

 清掃夫が呼び鈴を鳴らしたとき、ベッドの下に潜り込んで埃まみれになりながらじっと息を殺していたのは、死に対する抵抗に違いなかった。頑固な命の自己主張。ラヴィは、子どものころに切り花を色水につける実験をしたことを思い出した。色水を吸い上げ、やがて白い花びらが染まっていったものだった。彼は血管の中を執拗に流れる赤い力を感じた。
(p228-229)


色水は恐怖の何かだと思いきや、それだけではなかったようだ。世界のあらゆるものから切り離されている絶望の期間にも、生命は無関心で生き続けようとする。
一方、ローラはナポリ行きから、シドニーへのノスタルジアに取り憑かれてしまったようだ。

 ジャカランダは春から次の春まで誰にも気づかれることなくひっそりしているが、あるときいっせいにその存在があふれだす。それはもはや開花ではなく顕現だった。ジャカランダの花は谷間を紫で埋め、屋根のあいだの漏斗状の空間を埋め、郊外の丘を一変させた。
(p234)


ジャカランダそのものがローラの中のノスタルジアの形なのだろう。ずっと陰に隠れているのだけど、時期が来ると埋め尽くす…
ところで、前にもところどころあって、またこの章の最後でも書かれている、無言電話は何の符牒だろうか。
(2023 05/15)

第一部終了

昨夜寝る前から今日にかけて、筋的に重要な箇所に差し掛かる。ローラ編ではシオが亡くなり(その時にローラはプラハ にいた)、ラヴィ編ではフリーダの手筈でホテルを転々としたり国内ツアーなどに紛れたりしながら、最終的にオーストラリアのヴィザとパスポートを手に入れる。一方ローラはノスタルジアが決定的となり帰国を決意。そう、この二人、ここで行き先が重なる(ひょっとして飛行機も同じ?)…そして第二部へ(だいたい小説全体の半分くらい)。疑問なのは、何故ラヴィはフリーダを嫌うのか、というところ。そんなことしなくてもいいからマリーニとヒランの元に行きたい…のか。
第一部から最後の引用はラヴィの国内ツアー中から。

 観光は時間から切り離された時間の中で行われた。潤滑油をたっぷりほどこされ、何物にも触れない時間。次々と切り替わる場面は、その表面に死体であるかのようにラヴィを浮かべて運んでいった。
(p263)


観光旅行への皮肉であるとは思うが、ただそれだけではないとは思うが、正直よくわからない。この頃、幻なのにごく普通にマリーニが近くに現れているラヴィ。切断された時間と景色が切断された身体を想起させるのだろうか。そう考えても最初の一文が何を意味するのか。
(2023 05/16)

第二部開始

ということで、今日から第二部。

 散歩には透過性があり、外の世界が体内に染み込んでくる。夏が終わるころには、オーストラリアがラヴィの身体に浸透していた。これからは世界中どこに出かけようと、オーストラリアが旅の道づれになるだろう。
(p303)


小説タイトルとも共通しそうな、この文章。そういえば、オーストラリアに来てからマリーニの姿はまだ目にしていない…
(2023 05/17)

ラヴィ編から
ラヴィは、部屋を貸してくれたコスティガン家の息子デイモが時々ドライブに誘ってくれた。だいたいはデイモが好きなブッシュウォークになるようだが。次の文はその帰り、工芸品を売る店でラヴィが中国人カップルの写真を何枚も見つけた時のもの。

 ラヴィは家に帰る途中、あの写真の中の男女がラヴィにずっと問いかけてきているような気がした。なぜ自分たちのあの写真がはるばる海を渡って、最後には箱の中に押し込まれてしまうようなことを、自分たちを愛してくれた人たちがしたのだろうか、と。
(p333)


「旅の問いかけ」というタイトルがここで出てくる。
(2023 05/20)

イタリア語仮定法の日曜日


ローラ編では2001年の911で旅行ガイドブック業界にもリストラの嵐が来た。前も書いたが、作者のクレッツァーはロンリープラネットで働いていたこともあったから、そんな経験もあったのかもしれない。新しい入江近くの家の家主、イタリア系移民のカルロと毎週一回会食をするようにも。
ラヴィ編では、デイモには新たな男友達ができて、ラヴィはまた別の楽しみを見つけることに。安いランダムフライトで日帰りでオーストラリア中旅したり、更新が止まったサイトや、不動産屋で貸し手がついた物件を覗き見したり。
今日の引用箇所は、ローラの昔のイタリア旅の思い出から。

 旅のことを考えると、シチリアでの一日のことを思い出した。長くて退屈なバスの旅を続けてたどり着いたところは、雨のそぼ降る陰気な街だった。ジャケットのフードから顔をのぞかせ、イタリア語の仮定法の難しさと眠りについたような日曜の午後の通りに四苦八苦しながら、辛抱強く方角を聞いた。
(p352)


アグリジェント?
この作品、そう正面切って旅とは?という問いかけはないのだけれど、エピソード、表記のはしばしにそのテーマを感じることができる。「イタリア語の仮定法」の文が印象深いが、それは並列されている「眠りについたような日曜の午後」との同列化が効いているのとともに、確かに道を聞く時には仮定法使いそうという納得感の戻りが導く。
(2023 05/22)

パスワードの墓標

昨晩寝る前に少し読んだのだが、そこではラヴィの母親カーメルが亡くなったと知る場面。

 マリーニの生年月日は彼のオンラインのパスワードのひとつに使われ、ヒランの生年月日も別のものに使われた。母親のものは、三つめのパスワードになるだろう。パスワードは黒丸かアスタリスクで暗号化された現代の墓標だった。姿見を現したり消えたりする死者は、機械の中の幽霊だった。
(p390)


アスタリスクが墓標という表現には惹かれるものがある。
そして今日分。今回はラヴィ編からの回想場面。

 海は何度も咳きこむような音をたてていたが、ラヴィが聞いたのは、桑の木にゆっくり落ちてくる降り始めの雨音だった。雨音に反応して、部屋を出入りするゴム製のスリッパのパタパタという音が聞こえてきた。その足音は母親が雷光に備えて鏡にシーツをかぶせて回っている音だった。これらすべては遠い昔のある時代のことではあったが、それらは進行中で、今でも不意に襲ってきては流れていく。
(p402)


ラヴィが遡れるまで遡った最初の記憶の光景なのかもしれない。この小説あとで振り返った時、真っ先に思い出すのはここになるかもしれない。
ラヴィにとってスリランカへの帰郷の念はずっと徐々に高くなってはいたが、母親の死が決定的となったのだろう。
そこからラヴィは、マリーニとヒランはテロリストによって殺された、という今自分がオーストラリアにいることの原因でもある前提を疑うようになる。前にマリーニと仲悪かったディープティという女が殺意を持った、とラヴィは考えて始める。しかし、ディープティ一家がアメリカに移住したと聞いて、ディープティへの恨みが薄れ、今まで突き動かしてきた欲求は最終的には故郷に帰りたいということへと流れていくと気づく。
ということで、ローラもラヴィもここへきて帰郷への思いに貫かれる展開。現時点ではローラもラヴィもシドニーにいるが、このまま接点のないままラヴィがスリランカへ戻るのだろうか。この帰郷への欲求も「旅の問いかけ」の一つ。
(2023 05/23)

と上に書いたら、今日読んだところで、ラヴィがローラのいるラムジー社に入ったらしい。そしてローラがちらりとそれを見ている…この小説の主たる二つの筋が溶け合う重要箇所なのに、これまた随分素っ気ない(笑)
(2023 05/24)

首のまわりにまとわりつく過去

 ずいぶん昔のことだが、彼女が愛した人びとが彼女に、黒い肌は細菌を隠し持っている、と教えたのだった。マーティンの人生がどのようなものであったかを知っていれば、誰も彼女に責任があるとは思わなかっただろう。しかし彼女は、自分の過去をつまらないものとして封印し自分を欺いて過ごしてきたが、その過去はつねに首のまわりにまとわりついていた。
(p456)


今日はラヴィの2章のみ。ラヴィがポール・ヒンケル(前に描かれていたようにポールはローラと週2、ホテル通いをしている)の家に遊びに行く場面から。ポールの妻マーティンの心理。前読んだ本にあったような無意識に刷り込まれた差別の反応。「マーティンの人生」というのは、何か特別なトラウマなのかもしれないけれど、また「彼女が愛した人びと」というのは両親等で何の疑いもなくそこから「首のまわりにまとわりつく」差別心理を受け取ったのかもしれない。
(2023 05/25)

歴史に対する地理の勝利

 彼女が言いたかったのは、オーストラリアでは、みんなが単にスリランカ人だということ-バーガー人、シンハラ人、外科医も掃除夫もみんな同じだということだった。つまり移民は、歴史に対する地理の勝利ということだ。故郷ではあんな人たちには絶対話しかけないのよ。
(p477)


彼女というのはラヴィの親戚の一人。「歴史に対する地理の勝利」というところには、もちろん皮肉も入ってはいるのだけれど、同時に物語冒頭近くの地理好き修道士の話とも響き合っている。

 おそらく彼女はチェックリストの中のひとつの項目だったのだろう。若いころのヨーロッパでの放蕩、帰国してからの職業、結婚、家のローン、父親になること、浮気、どこにでもいるオージーの人生の大旅行における必須の停止場所。それに家の改築、その後の離婚が加わり、環状動脈血栓症へと続く。
(p482)


ここの彼女はローラ。ローラの相手ポール・ヒンケルに対して思うこと。自分が誰か他人のチェックリストの項目になっているという感覚はどうなのだろうか。ローラはそのうちの「浮気」に該当する。ここも皮肉混じりに人生を概観するこの著者の典型的なところ。
あと、会社の噂の一つとして出てくる、国名を国際企業に売って「エクアドルを「ナイキ」と改名して、国民はナイキグッズをもらえる」…という話が(逆の意味で)面白い。都市名くらいならどこかに用例あるかも。
(2023 05/28)

シドニーハーバーのナイチンゲール

今日読んだところで、ローラとラヴィが実際に会話するのだけど、実はこの前にも話したりはしていたらしい。

 今、ラヴィはローラが楽しそうにしているのを目の当たりにして、自分が彼女のことを不幸な人だと思っていたことに気づいた。髪の重さがそれを示していた。ときどき、悲しみのように、彼女の髪の毛は頭の上に重ねられていた。
(p509)


ここまで読んできた一読者は「なんか逆では?」と思ってしまう。ローラがラヴィを見て「不幸な人」という方が妥当な気がする。でも逆なのね。

 鳥は鳴き続け、ローラは奇跡の時代に生きていることを認識した。インターネットの批判者たちは、インターネットはつまらないもので、弱さに迎合し、誤った情報を伝えると指摘した。しかしそれはまた、シドニーハーバーを舞いながらさえずっている冬のナイチンゲールでもあったのだ。
(p520)


ローラはネットで検索してナイチンゲールの鳴く声を聞く。ここなど、小説内で一番感動的な箇所かもしれない。旅とともにネット通信がテーマでもあったこの小説の一つの帰着点。ラヴィはスリランカへ帰国しようかと思っているが、シドニーを離れない気も起こっている。そこにローラの存在があるらしい。お互いの印象が上向きに修正され、二人とも体型を気にし始めた。
(2023 05/29)

 詳細は真実にとって必須ではない。必須なのは、説得力のある物語にのみである。
(p545)


(2023 05/30)

長いビューファインダーの先には…

ラヴィの難民申請は(何故か)受理されたが、一方ラヴィは帰国を決意する。ヘイゼル家の人々が贈ったアルバムをスーツケースに入れようとしていたら、何かに引っかかる…それはあのビューファインダーだった…この場面のちょっと前にモナ・フリューリーというライラック色のジャケットを着た女性がラヴィ達の横を通り過ぎるのだが、この女性の昔の名前がモハン・デブレラ…ああ、冒頭近くに出てきてラヴィと一緒に過ごすが、民族紛争の影響で国外に移住した男の子か…確かに彼(彼女?)にはそういう性向があった。

そんなラヴィを追うようにスリランカへ旅行に訪れたローラ。バンコクからの飛行機が事情によりバンコクに戻り、一日を無駄にし、次の日の朝、ビーチにあるラヴィの友人ニマールのインターネットカフェへ向かう。

 しかし、観光というのは、そのような問題を先送りするために存在している。その日はローラの休日の初日だった。知らない土地で迎える、純粋な可能性に満ちた朝。そんな朝に出会うために起き上がり、彼女はよろこびを意識していた。
(p607-608)


先送りしない方法が何かあるというのだろうか。この後ローラがいろいろ考えていくように、何かに決着をつけようとすることはできる、しかしその場合でも何かしらは手をすり抜けて先送りになってしまう。先送りを断ち切る唯一の要因というと…

 彼女がメールの意図をじっくり考えていると、身震いするような大きなため息がわき起こった。まるで地球全体が悲しんでいるかのように。それは十二月二十六日の、九時二十分ごろのことだった。津波が襲ったのだ。
(p612)


確か2004年のこの日インド洋で実際に津波起こったはず…こういう終わり方するとは予想しなかった…

訳者あとがきからは佐藤渉氏のこの言葉を。

 『旅の問いかけ』を読む楽しみは、ビューファインダーが与えてくれる満足とどこか似ている。世界から切り取られ、小さなおもちゃに閉じ込められた異国の情景には妖しい魅力がある。読者がローラやラヴィの目を通して見る異国の街並みにも同じような魅力がある。
(p616)


最後に構造的なことをいうと、第一部ではローラが国を離れ、第二部ではラヴィが国を離れる。繋がるのは最後の最後の方で、上述の結末へ向かう…
ただ、やはり長かった…
(2023 05/31)

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