「巨匠とマルガリータ(下)」 ミハイル・ブルガーコフ
水野忠夫 訳 岩波文庫 岩波書店
この本収録の、水野氏「ブルガーコフの作品との出会い」はiichiko2009夏号からのもの。
マルガリータも登場
下巻になり、早速マルガリータ登場。というか、上巻での巨匠と一緒にいたのもマルガリータだったんだけど…マルガリータはヴォランド一味と戯れ、ここでは空飛ぶ箒に乗っている。他の人からはその姿は見えない…
(2020 01/09)
原稿と缶と買物袋
原稿を公表するのが難しくなった、ブルガーコフがこう言うと説得力が増す。
変にくどいとおかしみを感じる。缶でも買物袋でもどっちでもいいよ(笑)
(2020 01/15)
「埋葬」の章、その他
今日はp297まで読んだ。この二つの文はどちらも小説内小説のピラトゥスとジョシュアの物語章から。
p202の文は、総督の処刑行為云々を越えて、人間の行為一般を指しているのではないかとも思えてくる。手遅れになったことを追い求めること、それこそが人間の生存そのものなのだ、という考え。それに至らなければモスクワバージョンの人々みたいに悪魔に取られる…のかな。
p219のところは総督の見た夢の部分。ここの「月への階段を上っていく」夢の描写は、短いけどこの小説の白眉かも。説得することが目的ではなく、またその不可能性をお互い熟知したうえでの議論。こちらとしても興味深いのだが…いかんせん、夢なんだよなあ。
聖書とか読んでないから全く予備知識ないのだが、確か、総督はアフラニウス(秘密警察とか隠密とかそんな人、いつも頭巾)にユダを救え、という指示を出してたはずなんだが、そのユダをアフラニウスが計略を使って暗殺し、総督に「ユダを救うことができなかった」と報告している。そして、この章最後に連れて来られたマタイに「ワシがユダを殺させたんだ」と言うのは、とりあえず矛盾してる。その後、今までになくぐっすりと総督は眠りにつき、マタイも態度を和らげ帰っていった、という。
モスクワバージョンではあちらでもこちらでも火の手が上がり…もうそろそろ終わりに近づいてるのだけど、どう収拾するのだろう、この話。
(2020 01/20)
自由と生きることの相反性?
「巨匠とマルガリータ」今日読み終わり。なんとか1月中に。
誰か…って誰?
自由と死というのはイコールか否か。この後出てくる元詩人のイワン見てると、生きている限りこのような悪夢と共にでなければ生きることはできないような気がしてくるのだが。
というわけで…
続いて解説より
解説やそのあとのエッセイ見ると、ブルガーコフの作品はこの作品やモスクワ三部作、「白衛軍」などの小説類だけでなく、劇作品や他の作品も案外翻訳されている。その中では「劇場物語」というのが、作者の自伝的内容と虚構が織り交ぜられていて自分的には見てみたいかな。
(2020 01/21)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?