「踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々」 ヴィトルト・シャブウォフスキ
芝田文乃 訳 白水社
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(2023 12/26)
「はじめに」
「はじめに」を冒頭につけて、第一部・第二部の二部構成。第一部と第二部の章立てが全く同じ章名を持つ。第一部はブルガリアでの熊とロマの家族。第二部は社会主義国だった国々の生活ルポ。
まず、「はじめに」から
この「はじめに」では、ブルガリアのロマから「踊る熊」を回収して熊のキャンプへ連れていったその熊に、社会主義国が崩れて「自由」を手にしたことを重ねている…そしてそれは「社会主義国」だけの話ではなく、西欧でも実例が見られることだと著者は言う。
第一部
ロマで熊を渡した古老の語る話。
この古老は、東欧革命以前は集団農場で働いていた。それが社会主義国の崩壊で解雇された。そして向かったのが、熊の購入。古老自身は初めてだが、彼の一家はロマで熊を飼う伝統があった。
そして、社会主義が全て非効率で官僚システム的、ということはなく、この文章でわかる通り良い側面も持っていたことを当事者が語っている。
(2023 12/29)
第一部の第2章「自由」。ここは、2007年、ブルガリアで最後の「踊る熊」が、ロマの熊使い一家からオーストリアの熊保護団体に譲られる日の記述。前半は熊使い一家に、後半は熊保護団体に好意的に書かれ、トータルで公平にしている。こういうのは事前にいろいろ決めていて、最後のおざなりのセレモニーだけなのかと思いきや、熊使いの一家が「報道陣が中に入るのは千ユーロかかる」と言ったり、最後の一頭がなかなか檻に入らないので、一家の小さな子供と一緒に入れようとしたり、と緊迫したものだった。ロマの一家はこれからどう暮らすか途方に暮れ、一方熊保護団体からしてみればロマたちは熊に毎日酒飲ませて調教しているのでアル中状態で、歯も抜くから歯の状態も悪いと批難する。
この第一部読んでいる限り、本全体で熊問題を全面的に取り上げて、熊と中東欧の類似性云々はあとがきにさらりと書くだけでもいいような気がしてきた。それくらい面白い。
(2024 01/04)
第3章「交渉」のラスト
ロマから熊を引き取る係の人の話。一応、ロマに支払われる金は、熊の代金ではなく、ロマの生活支援の為という建前なのだが…
でも、頑迷さとはぐらかしのロマと話し合うのも大変な仕事。熊を手放したお金でまた熊買ってるし… 一応、熊の芸はブルガリアでも既に禁止されているのに、これだけ残っていたのは、警察と癒着していたから。というわけで、警察も当てにならないけれど、ロマも無免許でトラックに熊載せてたり…
(2024 01/16)
第4章「歴史」
熊使いも物語を語っていたとは知らなかった。村から出ることのなかった昔の農民などには、唯一の気晴らしと情報提供だったのだろう。
(今、思い出したのだが、「権力と栄光」のウィスキー坊主もそういう役割があったのかな)
ホルカ(熊の鼻輪)を外す保護園の人の話から。(途方に暮れる熊というのも見てみたい気もするのだが…)ここなどは、旧東欧圏の国々と比較してみたいところだ。ホルカのことなど気にかけず、トップ争いをしていたミショとスヴェトラはどこかな、とか。
(2024 02/01)
第6章「冬眠」
実際には、簡易熊小屋を建ててそこで冬眠を始めたらしい。この取材の前年にはほとんどの熊が冬眠できたという。
(2024 03/06)
なんと、熊の次はライオンだそうな。ライオンはロマ達が飼っているわけではなく、麻薬とかトルコ国境の税関での賄賂とかで富豪になった人物が所有していたらしい。そのライオン達も「四つ足」の手で南アフリカへ。
(2024 03/11)
去勢
熊園では、結局全頭去勢せざるを得なかったそう。そのためか、野生の熊が寄りつかないのかも、と著者は述べていrqいる。ここには必要なものがない、と。
踊る熊たち
熊が踊るように見えるのは、ロマ達といた頃も熊園でも、実際に踊っているのではなくて、別の動作をそう見ている人間の方で解釈しているのにすぎない。そしてその時の多くは、熊自身がどうしていいかわからなくなっている状態が多い、という。
(2024 03/16)
第二部
第1部終わって(最後に熊使いの写真が何ページか)、第2部の社会主義体制だった国のその後に移る。主に東欧。しかし始めは未だに社会主義体制でしかも東欧でもないキューバ。2006年、フィデル・カストロが入院した時、著者ともう一人の記者がキューバに渡り、人々の声を聞く。
これは道中の一情景。キューバの森の中。
(2024 03/18)
ウクライナ編
これはウクライナ正教の司祭が西側の人に言った言葉だという。頷きもするけど、では半ば強制的に貧しくしていろということか、という気もおこる。この話を紹介したオレク司祭はロシアとの国境に近いモスクワ司教座に近い人。今はどうなっているのだろうか。
(2024 04/05)
アルバニア編
アルバニアでは例のトーチカ(約75万機?)に焦点が絞られている。旧ユーゴの戦争で、(頑丈だとされていた)トーチカが簡単に壊れていった。
(2024 04/18)
アルバニア編続き。これはアルバニア軍とともに、ホッジャ時代の塹壕を破壊している人の発言。
対象が何であれ、人の一生をかけて行ってきたことを、晩年自ら否定するのは辛いことだと思う。
(2024 04/23)
今日はエストニア編。旧東欧諸国の中でも成功例の方のエストニア。ただこの国には大きな問題がある。それがロシア人問題。三人に一人がロシア人(ロシア語を話す)で、六人に一人が無国籍。それはエストニア語を話せない人には国籍を与えない、という政策をとっているため。
(2024 04/30)
セルビア編。前半はカラジッチの足取りツアーの様子。なんとここに日本人も参加している。後半はコソボでのヒッチハイク。危険だからやめろと忠告された、けれど…
彼らの国がヨーロッパでいちばん若い国になったわずか数日後に彼らを間近で観察したかった。彼らと同じコーヒーを飲み、彼らと同じパンを食べ、彼らが交わすジョークで笑い、彼らが運転する車に乗る。そんなふうにして二月のある日、私はプリシュティナから西部の都市ペヤへ向かう国道の脇に立った。
(2024 05/17)
次はコソボ内のセルビア人居住地飛地の夫婦の話。
(2024 05/20)
グルジア編
この本でインタビュー受ける人々は普段なかなか出てこない人々が多く、この本のこの著者の特徴となっているが(「独裁者の料理人」もそうだけど)、このグルジア編はその真骨頂かもしれない。ゴリにあるスターリンの生家の博物館の女性係員たち。多くは高齢でロシア語(とグルジア語)しかできない人たちだが、中には英語やフランス語もできる人もいる。そして中には資本主義に一定の良い点を見ている人もいるが、だいたいは「ソ連時代の方がよかった」という。一番興味深いのは、ソ連時代には夫は殴らなかった(もしくは殴られても訴えることができた)、というもの。
(2024 05/21)
訳者あとがきから
あとは、著者がジャーナリストになって初めて長期取材したのがトルコというのが自分的にはポイント。
(2024 05/28)