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「ガルシン短篇集」 フセヴォロード・ミハーイロヴィッチ・ガルシン

中村融 訳  福武文庫  福武書店

阿佐ヶ谷銀星舎で購入。
トルストイ以降チェーホフと同時代の人らしい。
(2017 02/20)

「四日間」


昨日帰ってからガルシン短編集の「四日間」を読んだ。露土戦争に志願した彼の体験。解説には同じ戦場で青い空を見るという構図の「戦争と平和」との対比がしてあった。天上を思うトルストイに対し、全く即物的なガルシン…という感じか。
ガルシンといえば「赤い花」というのがほぼ反射的に出てくるけど、それもこの短編集にある。

「臆病者」


ガルシン短編集から「臆病者」。昨日読んだ「四日間」の枠物語みたいな作品。p31にあるような感情がガルシン自身をも蝕む問題なのかと思ったけど、戦争での死者の問題はその通りなのだろうが、解説みる限りはガルシン自身は従軍自体は一兵士として流されるがままでよいため、普段より朗らかに過ごしていたそうな。
前半の方から引用2つ。

 ひょっとして、万人が大事業として考えていることに対する僕の憤懣は、自分自身の皮膚に対する恐怖から生じているのではないだろうか。
(p35)


他の人はどうかな。自分としてはこの「皮膚に対する恐怖」というのにかなり共感するのだけど…

 ペンは白い紙に黒い傷を加える武器に見える。
(p36)


文字を刻むというのは、楔型文字などの記憶から、デリダのグラマトロジーまでこうした痕跡とは切り離せないものなのだろう。
でも、前々世紀の20代の作品だから仕方ないかもしれないけど、だれが外側から語っているかなど、枠物語の工夫がも少しほしかった気もする。
(2017 03/02)

「邂逅」と「従卒と士官」


「邂逅」は戦争ものではなく、戯画化された堅物と俗物の対話。ラストの水族館のシーンが脳裏に焼き付く。俗物氏は夜にこの水族館で何を思っているのだろうか。解説には否定的な側面を強調しているとあった。
「従卒と士官」はタイトル示すようにまた戦争ものなんだけど、この作家にしては珍しくなのか本領発揮なのか、ユーモラスで幻想化もされてきた。先の「邂逅」からだんだんその味が出てきたよね。こっちの二人はさっきのコンビより戯画化されてない、というか理想化に程遠い人物で、でもそういう人物が異様に忘れがたい…これも最後の二人の夢混ざり合うか合わないかみたいなところが印象的。
太宰治も愛好していた(ウィキより)というこの作家、思っていたよりお買い得?だったかも。
(2017 03/04)

「赤い花」


これはガルシンの精神疾患を解読?するような病院の話。赤い罌粟の花が世界の悪を吸い込んでいると思い込んだ男が脱獄まがいのことをして庭の花を摘み取るという話。ロシアにはドストエフスキーの「地下室の手記」とかチェーホフの「六号室」とかこの手の作品があるけど、内側から書いたという感じでそれらとは感触違うような…

「信号」、それからチェーホフのガルシン讃


今日「信号」を読んで、福武文庫版ガルシン短編集を読み終えた。踏切番の二人を巡る悲劇は、キリスト受難の再現か、またもや赤い色への固執か。自分としてはも少しこの二人の味気がないという味?があるやり取りの中に身を置いてみたかったなあという気も。まあ狂気に忙しく若くして死んだガルシンには無理な注文なのだろうけど。

最後に解説から。ガルシンが亡くなってから書かれた、彼をモデルとしているとされるチェーホフの「発作」から。

 才能にも、作家としてのもの、舞台人としてのもの、画家としてのものなどいろいろあるが、彼のは一種独特の、人間としての才能だった。彼はひろく苦痛というものに対して繊細な、すばらしい感受性をもっているのだ。
(p209)


(2017 03/07)

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