「ブルゴーニュ家 中世の秋の歴史」 堀越孝一
講談社現代新書 講談社
宰相ロランのヤン・ファン・エイクの絵の動画見て、ブルゴーニュ侯国が気になったので見てみた。
この時代の歴史がいまだあやふやなこともあり、4代に渡るブルゴーニュ侯国の歴史というより、先のヤン・ファン・エイクやロヒール・ファン・デル・ウァイデンなどのフランドル絵画、「パリ一市民の日記」やフランソワ・ヴィヨンの詩などの文学作品、ワインや塩、コインなど文化史に至るまで自在に書かれていて、読む自分がこの時代の文化にもっと詳しくなればさらに面白くなるのでは、とも思うけど、今回はざっと流し込む。
この本は4代のうち、後半2代が中心。
大雑把な背景は、百年戦争時。ブルゴーニュ侯国は、以前のカペー朝の時にも王族から派遣されてフランスの候筆頭となっていた。それがカペー家断絶ヴァロア家がヴァロア朝を継承すると、一旦フランス王領に吸収されるが、またジャン2世善良王の弟豪胆王に封される。イングランドはフランス西半分アキテーヌ地方とノルマンディを支配。ジャンヌダルクがシャルル皇太子(後の7世)と会うのもこの時代。そういうわけで、「3すくみ」状態にあったわけだ。
2代目の時、フランドルの公妃と政略結婚し、フランドル地方に踏み出す。3代目の「おひとよし」フィリップはアラスの和議が示すようにフランス王家と協調路線を取る。ポルトガル王妃と結婚。4代目「むこうみず」シャルルは、親に反抗?し、フランク王国後のロタールの国、或は神聖ローマ帝国皇帝を目指して戦争するが、反抗するナンシーの町を包囲していた時に、ナンシーの援軍であるスイスベルン連合軍に攻撃され亡くなった。その最後の場面がリルケ「マルテの手記」にあるという。ここで遺体捜索に出てくる少年?リルケは書いてないけど、どうやらローマのコロンナ家の少年らしい…ボマルツォ公オルシーニ家と犬猿の仲の?
「むこうみず」が亡くなったあと、彼の妻イングランド出身のマーガレット(マリー・ド・ブルゴーニュ)は、フランドルの市民の支援を受け、フランス王ルイ 11世に先んじて神聖ローマ帝国マキシミリアンと結婚する。長男のフィリップがブルゴーニュ家を継ぎ、アラゴン王フェルディナンドとカスティーリャ女王イザベラとの娘ホアナと結婚。そうして生まれた子供が、結果フランドルから神聖ローマ帝国そしてスペインとまたがるハプスブルク家カール5世、ボマルツォ公に叙任式をしたあの皇帝。案外つながるね。
あとは堀越氏がこれまた関わっているホイジンガ「中世の秋」の引用が多い。
(2021 02/14)
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