「もどってきた鏡」 アラン・ロブ=グリエ
芳川泰久 訳 フィクションの楽しみ 水声社
1980年代、小説とも映画ともご無沙汰だったロブ=グリエが発表した「自伝小説」? 自分のこと書きながら仕掛けもたっぷり…らしい。
(2022 05/01)
ビュトールとロブ=グリエ
昨年読んだ、ビュトールの「即興演奏」とも比べたいような。またまた困った?ものを見つけた。自伝なのかフィクションなのかそれとも・・・
それも、外枠の外にまた外枠があるようだ。ひょっとしたら、永遠に外枠しかないのかもしれない。
次の章(この作品は2、3の小題を持つ多くの章からなる・・・だから目次が大変なことに(でも、手元において時々見返したい読者にとっては親切設計か?))の冒頭(p16)がまさに「私はこれまで・・・」となっている。
一方、一番の外枠章では、アンリ・ド・コラント氏という「謎」が出てくる。子供の頃のロブ=グリエ家に来訪し、しかも子供には近づけさせなかったという。これが旗印とか鍵になって、この本は進んでいくようだ。
この作品ほど「フィクションの楽しみ」という水声社のシリーズ名にフィットするのはないかも。
訳の問題になるけれど、「そんな国」というところの「国」という箇所は違う語の方がいいのかも。原語はわからないのに言うのはなんだけれど「道」とか「世界」とかいう辺りでも少し詩的な言葉(浮かばない・・・)
とにかく、ヌーヴォー・ロマンの作家と自分は近縁性?があるようで、この作品も気に入りそうな予感・・・この後、「道」、「探検」というキーワードから、少年ロブ=グリエの山(ジュラ地域)と海、山への親しみと海への恐怖、ブルターニュ地方での海岸線探索と夜の悪夢、という章が続く。
自伝なのに(なのか)評論の割合が高いのも「即興演奏」と近いのかも。小説を読み解こうとしているのに、いつの間にか小説に巻き込めれているような気がするのは、登場主要人物のそうした企みによるものなのか。
この後の章で、またコラント氏が出てくる。靴の音も、馬の蹄の音も全く聞こえないで来る、と書いてあるが、ということはコラント氏は幽霊なのか。そうすると、怖がりのアラン少年には近づけさせまいとした親の行動も納得はできるのだが。
(2022 05/03)
サルトルの文体の変容
「なのに」以降がわかりにくいけれど、要するに、死が綻びを読者あるいは生活者に見せても、物語あるいは生活に必要な因果関係は、新たに編み目を作って塞いでしまう、ということか。
ページ近いが…サルトルの「嘔吐」から「分別ざかり」の移行…定過去ではなく、複合過去と現在で書かれるという。これに青年?ロブ=グリエは惹かれていたのに、同じサルトルが「自由への道」で定過去で書き出したことに戸惑う。
フランスがドイツ占領化になった1940年、ブレストの艦隊はそこを離れ、ロブ=グリエ少年を怖がらせた夜の衝撃音の元であった燃料油備蓄地下タンクに火を放った。煙の柱がいくつも立ち昇り、それが庭先垂れ落ちてきて「ふわふわした雪の塊のよう」だったという。またその後やってきた疲れ切ったサイドカーのドイツ兵は「迷路のなかで」に挿入されている、という。ブルターニュの海岸部の出入りは禁じられた。
今はp53まで…この調子で書いてたら、一向に進まない…
(2022 05/07)
「弑逆者」…このロブ=グリエの作品はキルケゴールからの引用と海(波)が重なり合う。
フランスの敗戦は負けるべくして負けたある意味だらしないという印象で、ナチスドイツの敗戦は一つのシステムの崩壊のようにロブ=グリエには思えたらしい。
(2022 05/09)
バルトとサルトルとロブ=グリエ
今日もほんのり?進む。
今読んでいるところは、ロラン・バルトが話題の中心。バルトは交通事故で亡くなったのだが、事故のあった日、ミッテランと会って昼食をとっていたのだとか。ロブ=グリエがこの箇所書いていた時はちょうどミッテラン政権になったばかりの頃で、政策プログラムにあったものをがっちりそのまま行っていったため、資金面含め身動きが取れなくなってきた頃。
というわけで、バルトよりも他のことに目がいってしまった。といっても、このp91の戦略は誰よりもバルトの戦略…しかし、バルトの小説ってあったのかな。
最後はカフカ「城」の読みから。
門に近づきつつも、門を越えることはない。門から先へ行けば死が待っており、それは自由の消滅を意味する。
(2022 05/10)
コラント、鏡、馬、三題噺の自伝内小説
今日読んだのは、自伝内小説ともいうべき、コラントの挿話。海岸でコラントは海に浮かんでいる鏡を見つける。1メートル近くあるそんな鏡が沈まず浮かんでいるのも妙だが、その鏡に昔のコラントの恋人で既に亡くなった女が映っていたという。このマリ=アンジュという女はロブ=グリエの映画「囚われの美女」でコラントと一緒に登場している人物。また、この物語の一バリエーションとして、マリ=アンジュをコラントが殺した、というのもあるらしく…
随分前に出てきた、馬の蹄の音が聞こえないというのは、この時の恐怖が馬に伝染したから、その時以来…ということらしいのだが。
とにかく、やっと標題の鏡が出てきた。
(2022 05/11)
ロブ=グリエの家族の信条
ロブ=グリエの家庭は(当人が回想するには)右翼側で反ユダヤ主義だったという。家では、ドイツ占領下ではなく、それが終わった時からペタン元帥の写真を飾ったという(その後、ロブ=グリエの友人の左翼寄りの友人たちが家に来て、その写真を見た、という)。フランス庶民のイギリス人嫌いという気質?から、ドイツとフランスはそんなに仲が悪くない、どんな形(例えばナチス)でも、ドイツとともにヨーロッパをまとめイギリスに対抗するのだといったような漠然とした考えがあったという。また、反ユダヤ主義については、こんな文章がある。
なるほどね、今の日本で外国人が多数入国することに抵抗がある人の一部は、それにより日本の道徳が消えてしまい秩序が保てなくなるという理由から。そういう不信がちょっと前までは主流だったと思う。
(2022 05/12)
秩序の維持を選んでいた両親は終戦後も変わらず、しかしロブ=グリエ自身はこの後両親の考え方から離れ、変わって行く。それが成人になることと同一なのか。
(2022 05/13)
カミュとサルトルとフッサール
今日p232まで読んだ。
第二次世界大戦時にニュルンベルグの軍需工場にいた時に遭遇した空襲から始まり、ブルガリアでの鉄道工事の参加、東京行きの飛行機がハンブルグを離陸する時の事故、大西洋客船航路でのテロ騒ぎ、その二つの事故に対するジャーナリズムの騒ぎ立て方とエーコの擁護(でも、エーコはその記事の内容をロブ=グリエ自身のものだと錯覚している)、などなど。そこで何度も出てくる感覚が、自分は部外者で何かの偶然によりここにいるにすぎないというもの。こういう感覚、自分にもある。
続いて、ロブ=グリエが衝撃を受け、そしてその方向をより一層先鋭化させようとした二人の先達、カミュ「異邦人」、サルトル「嘔吐」、特に前者について。
自分の意識の内部からあらゆるものを汲み出し、外部へ放出させること。そこには膨大なエネルギーと内部の空虚が生まれ、やがて充満してきた外部によって破裂させられる、というイメージをロブ=グリエは提供している。そして、その破裂の後、囚人用独房で、四方の壁に上部に小さな開口部しかなく、そこにいてかって自分の部屋にあったモノを細部まで思い出す、というのが「覗くひと」のテーマなのだという。
こうした(母親譲りの)ミニチュアサイズのものへの偏愛が、ロブ=グリエ作品の魅力にもなっている。そしてそれらはだいたいにおいて、反復しズレを生む。
カミュとサルトル、そしてフッサール(彼ら二人はフッサール純粋意識をイメージしているという)の辺りは、まだ半分も理解できていないと思うので、解説から一文あげておく。
(2022 05/15)
母親話とスズメの話
「覗くひと」を読んだ(この時期の「最初の読者」は母親だった)母は、「こういう作品あっていいと思うけど、自分の息子には書いて欲しくなかった」と言ったという。
なかなか強烈な人らしくて、ロブ=グリエと姉が子供の頃に、発車しそうなバスのタイヤに姉妹を押し付けようとしたり、夫にナイフをつきつけたりしたり…一方、アメリカでロブ=グリエ作品をひろめたモリセットという人は、ロブ=グリエの母親に会いに来て「偉大な作家には偉大な母親がいる」と信頼した、という。
今日読んだ最後の章は、スズメを踏みつけた話。弱っていたとはいえ、一つの生命を踏むというこの作品の中では(他の箇所との対比で)異様にリアリティがある。誰しもこれに似たような体験あるのでは。
(2022 05/16)
収集癖とフロベールの穴とスタヴローギンの後継者
収集(自分にはある、ある)、順序に並び替え(ある…)、捨てることができない(ある、ある)、詩や散文の暗記(…ない…)、すべて死の側(気づき始めている…)
この後はロブ=グリエが語る文学史? デフォーからスターン、ディドロの語り手の言葉の創造の自由、バルザックのまた逆の一方にふれた世界の一貫性…そしてフロベールが来る。
p274ではこの『ボヴァリー夫人』の穴の戦略を、囲碁(全て囲まれていない盤の升目が陣地として生きている)とか、ポッパー(作中表記による)の反証可能性と合わせて論じている。
続いて、ドストエフスキーの「悪霊」のスタヴローギン。
スタヴローギンは小説世界の前面にほとんど出てこない。海外にいたり、又聞きの中に出てきたり…そして、どの位置にあったのかも不明な「告白」の手記の最後の2ページをスタヴローギン自ら破いてしまうのだ。
このスタヴローギンの後継者が(書いている時は『悪霊』読んでいなかったが)、ロブ=グリエの「覗くひと」なのだという…そして、もう一人いませんか、そう、この小説内のコラント氏もおそらくまた…
ここで、作品冒頭近くのp23のブルターニュ、コート・ソヴァージュの海の描写と響き合う。
p283まで、あと残り2章、10ページ切ったけど、ここまでにしておこう。
(2022 05/17)
コラントの葬儀
ということで、ブラチスラヴァで警官に殴られ歯を折った話と、コラントの葬儀で「もどってきた鏡」読み終わり。アンリ・コラントはロブ=グリエ自身の映画「囚われの美女」にも出てくるという。相互テクスト性もあるわけね。
「」内は何か著名な文章を引用しているのか。このコラントの葬儀の揺らぐ霧の中で、いつまでも終わらない?お茶を横目で見つつこの作品は終わる。
続いて解説から。
自分の読後感だと虚構部分は1、2割くらいな感じだが、気づいていないだけか。飛行機事故とか客船の大西洋上のテロ騒ぎとかもひょっとして虚構?…それはないと思うけど、細かく虚構が紛れ込まれているとは思われる。
あと、バルザックにフロベールにプルーストの翻訳と、それから「漱石のそれから」三部作小説執筆と、この翻訳前後の芳川氏、凄まじい仕事量…
(2022 05/18)