「縛り首の丘」 エッサ・デ・ケイロース
彌永史郎 訳 白水社Uブックス 白水社
「過去を売る男」ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザを読んだら、その中にケイロース「聖遺物」が出てきて気になったので再読…
「大官を殺せ」
この本、「大官を殺せ」と「縛り首の丘」の2編収録。まずは「大官を殺せ」。(ヨーロッパから見て遠い)中国の富める大官を、もしテーブル上の呼び鈴鳴らして殺すことができて彼の遺産が手に入るのならば、貴方は呼び鈴を鳴らしますか?という思考実験のテーマ。その行き着く先がこのケイロース「大官を殺せ」。このテーマの流れについては宮下志朗氏がまとめているという(すばる1994年6月号)。
その呼び鈴を鳴らすのは、テオドーロという内務省の官吏。下級官吏と言っていいだろう。下宿のマルケス夫人からは「疫病神さん」と呼ばれ…
この生活を楽しんでいるような語り手だが、一方では他の人を羨む気持ちもあったりして、そこで呼び鈴が出てくる…
呼び鈴鳴らすのに逡巡するのかと思いきや、割と単純に鳴らしてしまったり…しばらくして、本当に中国大官の遺産が送られて、富豪の生活始まる。でも、前の官吏の時の手紙の書記に戻りたくなることもあるらしく…
苦笑する箇所もほどほどあるようだ。
(2024 03/11)
「大官を殺せ」続き。
殺してしまった大官の霊?が出てくるのに耐え切れなくなった語り手は、中国へ渡り大官の遺族に償いをしようとする。中国に着いた時からあの大官の霊は出てこなくなった。さて、その大官がいると占いで出たモンゴル国境の辺境の町に向かったが、そこで(たぶん現地知事の主導による)掠奪にあう。なんとか逃げ伸びてキリスト教修道院の修道僧に救われ、回復すると中国を後にする…と、またあの大官の霊が出てくる。というだいたいの筋。
ケイロース自体は中国には行ったことがないというが、いろいろ調べていたらしく、この時代のオリエンタリズムの影響も受けていることを認識しながら読めばなかなかの詳細さ。それと、中国にいるヨーロッパ外交官の社交が(ケイロース自身が外交官だったこともあって)諧謔を伴って描かれる。最後の方の5ページにもわたる(全体百ページほどの小説にしては不必要に長い)手紙の内容もそうした外交官社交の一例。以下は、そんな外交官ロシアのカミロフ将軍と語り手との会話。
結構長く引用したけど、語り手…というよりケイロース自身の祖国に対する感情が見え隠れする楽しい箇所。ところが、「マンダリン」は実際はサンスクリット語起源らしい…
小説の最後はこう締めくくられる。
人間の欲には実に限りない…
さて、十九世紀の思考実験としての「大官を殺せ」はこれでいいのかもしれないけれど、二十世紀、そして二十一世紀の今となっては、この文章の図式が世界経済の大まかには動かない構図として収奪の図式として機能していないだろうか。愉快な小噺聞いた後に考える意味はあろう。
(2024 03/12)
「縛り首の丘」
1474年、セゴビア。登場人物はドン・ルイ、ドン・アロンソ、ドン・アロンソの妻リオノールの君、そして、ここに出てきた縛り首に処されてぶら下がっていた男(人物言っていいのか…)。ドン・ルイはリオノールの君を見て一目惚れするが、ドン・アロンソがほとんど妻を家から出さないことからきっぱり諦めていた。ドン・アロンソ夫妻は郊外の別荘に赴くが、そこでドン・アロンソは妻に、ドン・ルイをそそのかす手紙を書かせる(この時まで、妻はドン・ルイのことを知らなかった)。一方ドン・ルイはその手紙を読んで、すっかりその気になり月夜に別荘へ出かけるが、途中通りかかった縛り首の丘で…
というあらすじ。ここまでで引っかかる箇所が二つ。ドン・ルイは最初どうして諦めることができた(というかそういう設定にした)のか。それから、ドン・アロンソはどうしてこんな「余計な」ことをしたのか。自分としては、どちらかというと前者の問いの方が気にかかる(後者は、まあ、筋の関係上…)。ドン・ルイがずっと思い続けて病で寝込むようにまでなったとか、あるいはほんとに手紙が書かれるまでドン・ルイはリオノールの君のこと知らなかった(ドン・アロンソだけが知っている)とか、の方がいいのでは。なんか諦めてしまったからと、読者も一旦引いてしまいがち…
(まあ、元の伝説?がそうだから仕方がない、のかな)
ま、それらは実に些細な抹消な繰り言なので、この西洋時代劇をじっくり楽しめばいいのだけれどね。
ここに収められた幻想短編2種だけでは、上の文章の真偽はわからないが…他の作品読まないとな。前の調べによると彩流社に3冊邦訳あるらしいから…
(「聖遺物」(これはないんだっけ)?「マイア家の人々」?)
(2024 03/13)