「コンラッド短篇集」 ジョウゼフ・コンラッド
井上義夫 訳 ちくま文庫 筑摩書房
鰯の缶詰の船
ちくま文庫のコンラッド短編集を読み始めた。ということで、まずは最初の短編「文明の前哨地点」。コンラッドの主要舞台の一つ、コンゴの川沿いの交易所で、よってタイトルは半分くらいは揶揄が入っている。あと半分は…
「大貿易会社」にしてはずいぶんな比喩だが(この頃鰯の缶詰ってどのくらい普及してたんだろう。ベールイ「ペテルブルグ」にも出てきたし…)。
そんな船でやってきた二人の「白人」もやっぱりそんな人間。コンラッドは人間社会における様々な価値や考えなどとここでの自然と対比というか対決させる。自然に放り込まれた人間にそういう社会通念は無力だと…
ということで、この短編のタイトルには植民地政策への批判と、それから人間存在の根源の追求と、二重の意味が含まれているのだろう。
それから…
(2013 04/13)
どっちにも行けない、または霧の中の黒い影
コンラッド短編集より「文明の前哨地点」を読み終えた。「大貿易会社」から派遣された二人の「白人」は砂糖を巡るいざこざから一方が一方を撃ち殺してしまう。地理的にも状況的にも(人足は既に逃亡していた)、そして精神的にも「文明の前哨地点」にいた残された男は…
そんな日の翌日、会社の船がやってくる、濃い霧の中、男にはそれは影のようにしか見えなかった。一方、使用人?の黒人は船に向かって鐘を鳴らし続ける…
この瞬間の男の様子は描かれずに、次に船から下りてきた社長逹が見たのはその男の首吊り死体だった…
ということなのだが、元の世界にもアフリカにも入れない、またキリスト教世界の裁きにもあちら側要するに狂気にも入れない男には自分を滅することしかできなかったのだろうか。と今は考えてみることにする。
(2013 04/14)
自分にとっても自分がよそ者
昨夜のコンラッド短編集は「秘密の同居人」を。
前の短編もそうだけど、コンラッドの作品って、表の筋は仮の筋で本当の筋は精神分析というか認知科学というかそういうレベルではないか、とも思う。
この作品も、別の船でいさかいから殺人を犯した青年を自分の船(語り手は船長)に匿って逃してやるというものなんだけど、そんなに語り手と似てないはずなのに分身と思い、別なところにいても心の半分はその隠れている青年のところにある。これは割りと作品の始めの方にある、この船と船員逹とはいきなり初めてでよく知らない(これはコンラッド自身の実体験)、そして自分にとっても自分がよそ者であるという意識がそうさせるのだ、という記述を想起させる。
最後の語り手から青年に手渡し海に落ちた帽子は何らかの象徴なのだろうけど…
逆にこの青年がロード・ジムの原型なのだろうかなあ。
密告者
続いて夜は「密告者」。これは前に読んだ岩波文庫版にもあったからここでは軽く。
この作品、誰を中心人物に据えて読むかで印象変わるけど、今回は部屋提供者の女性にしてみた。この人物も「秘密の同居人」の船長みたいに、自己の半分くらいを他人に預けたままであったのだろう。この場合は「密告者」のセヴリンに。
逆に真の革命家、無政府主義者になるには、残酷で楽天的なホールやX氏みたいになってなければダメなのだろう。この女性やセヴリンや語り手のような繊細さを持っている人間ではできないのだろう。そしてこの自分も革命家になれないことは間違いない。X氏にしてみればそういう人物は「ふりをしている」だけに見えるのだろうけど。
(2013 04/15)
狂ってこそ人間?
コンラッド短編集第4短編「プリンス・ローマン」から。コンラッドにしては珍しく?ポーランドを舞台にした短編。ローマン公は単身でポーランド蜂起の軍に加わる。貴族の身でありながら…
直前に「神経症者のいる文学」(吉田城)よんでいたせいか、こういうのばっかり気になってしまう…狂信的行動を取れる人(ローマン公や前の短編のX氏など)にとっては他の人の行動は「ふりをしている」だけに見える。でもコンラッド自身はふりをしている側の人間ではないか、と今考えている。
ちょっと考えてみるネタ…その1、神経症がらみで、コンラッドも癲癇気味だったらしいけど、登場する人物は狂ってはいるけと、神経症という感じではない。
その2、コンラッドの作品って誰か第三者が語る枠物語という形が多い(この作品含め)。どんな意図や効果があるだろうか。
(2013 04/16)
霧で始まって、霧で終わる…のか
コンラッド短編集もいよいよ最後の第5編、「ある船の話」。
戦争中の沿岸巡行船が近くに船を見つけ、調べに行くと中立国の商船らしいのだが、なんか感じた部隊長は…というところ。この霧の中の話、解説にある「量子力学」云々という比喩は今までの中でこの話が一番感じる。そういえば、この短編集の最初の話のキモも霧の中の船だった。
(2013 04/17)
コンラッド短編集読み終え(昨夜)。最後の「ある船の話」はいろいろあるコンラッド作品の中の罪の意識の中でも一番強烈なもの。思わず本を落としそこなった。人間はそこまでできるのか。そしてそこまでした人間がどうして普通に生活していられるのか(この主人公を批難しているのではなく、もっと大きな…)。
(2013 04/18)