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「オンディーヌ」 ジャン・ジロドゥ

二木麻里 訳  光文社古典新訳文庫  光文社

荻窪ささま書店で購入(今は古書ワルツ?)
(2019 02/07)

元ネタ?のフーケのオンディーヌも古典新訳文庫であるらしい…


「オンディーヌ」ジャン・ジロドゥ。
シェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」(だったかな)ぶりの久しぶりの戯曲作品。そして、一日読み切り。

大雑把なあらすじは、異種婚姻譚。遍歴の騎士ハンスと水の精オンデイーヌ。ハンスには結婚相手のベルダという貴族の女性がいたが、城内で「サランボー」の劇(劇中劇)の最中に、ベルダがオンディーヌが元いた漁師の娘であることが判明する。だけど、徐々にハンスはオンディーヌよりベルダの方に近づき、オンディーヌは行方不明になり、ベルダと結婚する。その朝、オンディーヌが現れ、ハンスはオンディーヌとの愛に復活して、ハンスは死に、オンディーヌはこれまでの記憶を消去されてしまう。

といったようなもの。なんか複雑でかつ若干の矛盾あるような気もするけど、フーケの元ネタの他、メーテルリンクが戯曲にした「ペレアスとメリザンド」(メリザントはこれもオンディーヌと同じく古くから伝わる水の精)やイゾルデ、ヘラクレス伝説などなど様々な要素を「○○尽くし」みたいに流し込む戯曲でもあるから、それっぷりを楽しめばいい(シェークスピアとかもそういう要素ある)。あとは原調は悲劇なんだけど、自分なんかは喜劇っぽく読んだ。これも初心者でもすぐ笑えるところと、古典文学嗜んでいる人がほくそ笑む上級な?ところ(ヘラクレスの災難の順番とか)と各種ある。

第1幕から第3幕。第1幕は漁師の家、ハンスとオンディーヌとの出会い、第2幕は城内、オンディーヌの叔父という水の精の王と城の侍従が取り仕切るハンス、ベルダ、オンディーヌの三角な関係の早回し再生、及び「サランボー」の劇中劇でのベルダの出生の秘密。ちなみにこの幕で全く筋とは関係なく、漁師のオーギュストと(瞳に砂金がある)ヴィオラントの小幕が挿入されていて、自分はこういう小ネタ好き。第3幕はハンスの城、ハンスとオンディーヌの別れ。というようにシンメトリック。劇中劇の「サランボー」にはストレットという前に別々に提示されてきたモティーフが最後に重ね合わされるという、クンデラの「冗談」などで使われた手法が効果的。

以下各幕での引用を少しだけ(それも喜劇的なところも入れて)

 あれの声や、笑ったところも思い出せます。あなたさまの鱒をほうり投げてるところ、五十フランはする鱒をですな。ですがあの子がもう、なにか、合図としてしか姿を見せなくなっても、わしは驚かんです。小さな稲妻とか、ちょっとした嵐とか、そういうもの。この足をおおう波とか、カワカマスの梁にかかった一匹の魚とか、そんな合図でわしらを好きだと伝えてくるようなやりかたですな。
(p60)


第1幕。多少酔っ払ったオーギュストがハンスに話す。この辺のなんだかわからない苦笑を誘うおしゃべりはそれだけで充分楽しい。後でもつながってはくるのだけれど。あとは、この五十フランの鱒というの。ジロドゥが仕事仲間のルイ・ジュヴェ、マドレーヌ・オズレーらと昼食した際、この鱒の茹で上げを注文し、それをオズレーが嫌って「鱒を街路に投げ捨てる」と脅したという、そのシーンが投影されている(この二人はジロドゥ作品の常連で伴侶といってよい関係、自分はこの注を先にチラ見した為、なんかこの戯曲の印象の最初の大きなものになっている、この鱒が)。

 ものを忘れたり、気が変わったり、見逃したりすることがあるのは、人間の社会だけです。それはこの宇宙のなかでは、ごく一部なんです。水の世界は、けものたちの世界や、植物の世界や、虫たちの世界とおなじです。あきらめることもないし、ゆるすこともありません。
(p140)
 人間たちには、みんなの魂というものがないのよ。魂のこんな小さな分け前が並んでいるだけで。そこからは貧相な花や貧相な野菜がはえてくるだけ。あなたが持つにふさわしいような、人間のすべてがこもった魂、すべての季節がそこにあって、風そのものがあって、まるごとの愛がある、そういう魂はほんとうに稀なものなの。
(p143)


第2幕。オンディーヌと王妃イゾルデとの対話(上がオンディーヌ、下がイゾルデ)。ここでは割と真面目な?ところを。解説ではフーケの作品ではまだ自然を人間の魂が感化させるというような考えがあるが、ジロドゥはそれを裏返して、分割された人間社会には既に自然の全体性は理解不能になっているという。

 あのとき、わたしは生まれて初めてひとりでいられた。人間としての孤独を味わうことができたんです。乗り合い馬車の角笛が響いても、そこになんと裁きのラッパの音がまざっていない。騎士どの、わたしの人生であの一瞬だけでした。精霊たちはこの地上に人間だけを残して、行ってしまった。なにか予想外の呼び出しでもあって、ほかの星へ移動したのかもしれません。
(p182)


第3幕。こう語るのは裁判官。ここにも何か暗示的なものもあるかもしれないけど、なんかそれ(人間と精霊)とは無関係に、なんか平和で落ち着く箇所、でもすぐ精霊戻ってくるんだよね。この作品1939年初演(ちなみに「トロイ戦争は起こらない」、「クック船長航海異聞」(同時初演1935年)より後)。

 いなくなったら一瞬も生きていけないと思い知ったとき、いなくなるんだ。やっと相手をとり戻した日、相手のすべてを永久にとり戻したときに、姿を消す。
(p216)


ハンスの言葉。まさに「劇」的な言葉だと思う。

とにかく、ジロドゥという作家、引き出し多くて、技巧もふんだんで思っていた以上に面白い作家。「トロイ戦争」など、他にも読んでみたい(「トロイ戦争」は早川書房の新シリーズ?に有り。そのほか白水社(だろうなあ、一番の得意分野っぽい)に選集?有り)。
フーケ読んでるようにドイツ文学に親しく、また大学教授資格試験(アグレガシオン)に落ちて在野の作家になったという経歴、この2点はミシェル・トゥルニェに似ているとも思う。第二次世界大戦中の親ドイツの作家の対応は別々であったけれど(ジロドゥは1939年、フランス政府情報局長官職に任命)。
(1冊、それも自分の初の作家を一気読みすると、こういう大変な書き込みになるね(笑))

追記
これ実際に劇として上演するならどの役がいい? 結構面白そうな役多く作ってくれたな・・・って感じ。
女性だったら断然ベルダだろうね。男だったら侍従、オーギュスト、裁判官とか端役も楽しそう(劇の鍵を握れるという意味で)。
そいえば、この訳では採用してないけど、詩人とベルトランを同一人物としている訳(他の外国語の)が結構あるのだそう。そうなったら、劇の構図はどう変わるのだろう。
(2020 04/20)

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