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ジュゼッペ・ウンガレッティ 「無についてのヴァリエーション」
集英社版 世界の文学 「現代詩集」 篠田一士 編
小沢書店 「ウンガレッティ詩集」 河島英昭 訳
ウンガレッティ翻訳読み比べ
この「現代詩集」(「世界の文学」第37巻)井手正隆訳)では…
無についてのヴァリエーション
流れる砂 その虚無
音もなく砂時計から流れてはつもる、
はかなく、薔薇色の、やがて消えゆく
薔薇色の空にひろがる雲の暈のように…
そのとき 手が 砂時計をくるりとかえす、
もどりだす、砂の、
ひっそりと銀の雲
夜明けのつかのまのうす墨そらに……
砂時計を そっと 廻わす手、
静かに、砂の、静かに流れるその虚無
聞かれる者は、ただそれだけ
それは闇の中で消えることなく。
(p229-230)
一方、小沢書店「双書・20世紀の詩人」河島英昭訳では…
無の変奏
あの無の砂の粒が流れて
物言わぬ砂時計に積ってゆく、
そして、逃げてゆく、肌の上の刻印、
死にゆく肌の上を、雲の影が…
やがて一つの手が砂時計を逆さまにして、
また動きはじめる、砂の粒、
束の間の夜明けの鉛色のなかで
銀色の沈黙と化してゆく雲の影…
暗がりであの手が砂時計をさぐった、
そして、砂の粒とともに、流れ落ちてゆく無の影
静かに、いまや聞こえてくる唯一のもの、
聞こえてきて、闇のなかを立ち去らぬもの。
(p142-143)
同じ詩の訳でここまで違うとは…
一番目立つのは「肌の上」と「薔薇色」というところ。
第二連は河島訳では、一つの続き物語の中で読めるのに、井手訳では、ここで大きく転換してしまう。井手訳は言ってみれば短い漢詩のような味わいがある。どちらも詩の読みとしてはあり得ると思うのであとは好みか。