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テキサス州議会議員James Talaricoさんのスピーチ【感動】

前々回、聖職者であるMarianne Edgar Buddeさんのスピーチを訳してみましたが、
今回はテキサス州議会議員James Talaricoさんのスピーチをご自身のインスタグラムから訳してみたいと思います。

Marianne Edgar Budde さんのスピーチが世界中で称賛されるのは、国や人が違えど当てはまる所がそこに有るからではないでしょうか?

キリスト教の国家主義者たちがヘイトで胸にいっぱいにして聖書を口ずさみながら練り歩いている。
何を信じているか言わなくて結構
どんなふうに他人を扱うかを見せてくれたら、僕がが貴方がたの信じているものが何かを当ててみせるよ

キリストは
教会を愛せとは言わなかった
教義を愛せとは言わなかった
聖書を愛せとも言わなかった
彼はこう言っただけだ
汝の隣人を愛せと

キリストは一切、指導者なんか期待してないよ
こう言っただけだ
人種や階級、性別、性的指向、そして滞在資格に関係なく
汝の隣人を愛せと

僕の敬愛する神学者Barbara brown Taylorがこう書いている
" 私が明確に一線を引いてるのは ;
もし私の信仰が隣人との間の妨げになるのなら、私は隣人を選ぶ。
何故なら、キリストは私が信仰を愛することを一切要求していないから。"

興味深いことに
聖書の中で一言も、キリストは自分を崇拝しろとは言っていない。

彼はこう言っだけだ。
ただ彼についてくるように
彼がするように愛せ
のけ者にされた者を愛せ
よそ者を歓迎せよ
飢えた者に与えよ
その傷を癒せ
虐げられた者を解放せよ、と。

讃美歌が伝えるように
我々の愛で彼らは私たちがキリスト者である事を知るだろう。

テキサス州議会議員James Talarico さんのインスタグラムより

もちろんキリスト教も過去の行いを非難されることは多いですが、しかしそこから学んで変化していっていますよね。

とても大切な事だと思います。
 
このスピーチに出てくる神学者の言葉の下り、遠藤周作の「沈黙」にも少し通じる気がします。

私のインド人の彼氏はキリスト教。
日本で彼の人生で初めてのどん底時代、キリストの肖像をしまってしまっていた彼。
東京に聖書とともに持ってきて、またまた苦労しているので家具の隙間に落としたまま放置していました。(私はそれを知らなかった)
一時期東京で私にストレスをぶつけていた彼、
お母さんにするように私に当たってしまうんだと言っていたっけ。

彼が私に当たらないよう努力しようと決心した日(私にはわかりました)、彼はまたうっちゃっていたキリストの肖像画を探し出してきたのでした。

また隙間に落として無くさないよう私がちゃんと高いところに飾っています。





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