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僕が思う「おもしろさ」と「生きづらさ」について
「生きづらさ」を「おもしろさ」に転換する研究ノート #2
今回は、僕が思う「おもしろさ」と「生きづらさ」について書いていきます。
ここ数年で「生きづらさ」という言葉を耳にする機会も増えていると思います。
でも、実際に「生きづらさ」ってどういうことを言うの?
ニュアンスで語られることも多い言葉だと思いますので、「生きづらさ」を世の中ではどんな風に定義されているのかを調べて、そこから僕なりに噛み砕いていきたいなと思っています。
もっと言うと、「生きづらさ」を「おもしろさ」に転換するって...、じゃあ、どういうことを「おもしろさ」と言っているんだろう?
そういうところも掘り下げて書いていきます!
では、早速テーマに入っていきましょう。
僕が思う「おもしろさ」とは?
とは言ったものの、「おもしろさ」なんて他の人と大差ないだろ!と思っているあなた!
...正解です!!
「おもしろい」を辞書で引くと、下のように記してあります。
[形][文]おもしろ・し[ク]《もと、目の前が明るくなる感じをいった語》
1 興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。
2 つい笑いたくなるさま。こっけいだ。
3 心が晴れ晴れするさま。快く楽しい。
4 一風変わっている。普通と違っていてめずらしい。
5 (多く、打消しの語を伴って用いる)思ったとおりである。好ましい。
6 風流だ。趣が深い。
こうやって調べてみると、おもしろさには似ているようで異なる意味合いがあるんだなーと思ったんですが、僕はこの「おもしろさ」という言葉を、「心が明るく開けた状態で物事にあたること」という意味で捉えています。
子供の頃、夏休みに虫あみと虫かごを持って外に出ると、目に突き刺さってくるような青さがあって、その青に突き動かされるようなワクワクする気持ちを感じていました。
そんな青い気持ちを、僕は「おもしろさ」という言葉に求めているのかもしれません。
僕は、お笑いやマンガも大好きです。
無いと多分生きていけません。
でも、そうやって「受け身」でおもしろさを感じるのも良いのですが、「主体的」に体感する「おもしろさ」を僕は求めているのだと思います。
そして、僕が求める「おもしろさ」には、もう一つ条件があります。
それは、他者と共有する「おもしろさ」です。
心が開けた状態で、主体的に生きる中で生まれるドラマを、一人ではなく家族や仲間と「おもしろく」感じていくこと。
それが、僕が思う「おもしろさ」なのです。
僕が思う「生きづらさ」とは?
「生きづらさ」って近年良く聞くようになった言葉だと改めて思うのですが、まずは、その定義を調べてみました。
「生きづらさ とは」とネットで検索すると、「発達障害」というワードが圧倒的に多く出てきます。
なるほど。現在、世間的に「生きづらさ=発達障害」というイメージなのでしょうか。
発達障害が原因で生きづらいというのもあるのでしょうが、僕は、一人一人の「特性による生きづらさ」と言った方がしっくり来る気がします。
発達障害だと必ずしも生きづらいのかと言うと、僕はそうではないと思っています。
「生きづらさ」の原因は、発達障害だからではなく、その「特性」と「環境」の折り合いが付かなかった結果だと考えているからです。逆に言えば、「特性」と「環境」がマッチングすれば、それは「才能」に変わり得る。そして、その「才能」を自分の社会的な役割として活かしていくことこそ「おもしろさ」に繋がっていく道なのかなと思っています。
ところで、世間で使われている「生きづらさ」の意味合いが発達障害や特性によるものだと認識されていることはわかりましたが、でも、「生きづらさ」の原因ってそれだけじゃないですよね?
「生きづらさ」とは、そのまんま「生きる上で不便な事、大変なこと」だということですよね。
今の世の中では、「特性」によるものだけでなく、「気候変動」や「新型ウイルス」「貧困」など、様々な要因によって「生きづらさ」を感じる事が増えていますね。
その他にも、発達障害、精神障害だけでなく、肢体不自由や視覚障害、聴覚障害、難病などの「障がい」も「生きづらさ」の原因になるかもしれません。
そして、それらの「生きづらさ」は一つだけでなく、暮らしの中で連鎖してまた違う「生きづらさ」を生み出していきます。
僕は、「生きづらさ」とは、特性によるものだけでなく全てひっくるめて「生きる上で大変なこと」、シンプルにそういうことだと考えています。
3つの「生きづらさ」
僕は、自身のライフワークを通して少しでもおもしろくしていきたいと考えている3つの「生きづらさ」を設定しています。
1つ目は、上記したような「特性や障がいによる生きづらさ」です。
2つ目は、「貧困による生きづらさ」です。
そして、3つ目は、「未来の生きづらさ」です。
これは、今の子供達やその子供、孫達が生きていくであろう未来の「生きづらさ」のことです。
すでに激しい気候変動が起きている地球の未来をそのまま子供達にバトンタッチして良いのだろうか?
「特性や障がい」によって、「貧困」によって「生きづらさ」を感じている人達に対して、そして、悲鳴を上げるかのように目まぐるしく「気候変動」を起こしている「地球」に対して、その「生きづらさ」を僕らの活動を通して「おもしろさ」に転換できないだろうか?という思いがあります。
今後このノートでは、そのためのツールの一つとして色んな「生きづらさ」に密着してみようと思っています!
次回は、『近所の「生きづらさ」』について書きたいと思います!
今後も読んでいただけたら幸いです!!