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手記3
『無事に元気な女の子が産まれてきてくれました』
西村家の5人目の子どもが、11月8日無事に産まれてきてくれました。
産声を聞いた時の感動は、きっとずっと忘れないと思います。
嬉しさと安堵と共に寂しさも混じった心の揺れがありました。
昨年の11月18日、西村家の4人目の子ども成類(なる)が産まれてきてくれました。
彼女は、予定日まであと12日だった11月15日、お腹の中で亡くなっていました。
お腹の中から家族とコミュニケーションを取ってくれていた、本当に可愛い可愛い娘でした。
1年前の西村家は、愛する娘との別れと向き合い、深い悲しみと絶望、混乱に暮れる日々を過ごしていました。
今年の春のこと。
すこしずつ前を向き始めた頃、西村家に希望の火が灯りました。
赤ちゃんが再び西村家に来てくれたのです。
予定日が11月19日だと聞いて、成類が戻ってきてくれたんだと思いました。
あの春に感じた喜びは忘れません。
そこからは、希望と不安を交互に繰り返す日々でした。
しばらく経つまでは、誰にも言えませんでした。
とにかく安全に、無事に、健康に。
そのことを第一に優先して過ごしてきました。
そして、迎えた11月。
産婦人科の先生からは、誘導してもいいよと言ってもらっていたこともあり、夫婦で何度も話し合って38週を過ぎたら入院して誘導することに決めました。
それでも直前まで、やっぱり赤ちゃんのタイミングで産まれてきてくれるのを待つか迷いましたが、11月8日の午後から入院することになりました。
11月8日。
その日の明け方から陣痛が始まりました。
妻が起きた時にはすでに10分間隔になっていました。
慌てて病院に電話して荷物をまとめ、病院へと向かいました。
入院する予定日に自分から陣痛を起こしてくれた赤ちゃんに強い意志を感じました。
そこからは、助産師さんからスーパー安産と言われるぐらいスムーズに進行していきました。
コロナの状況もあり、立ち会いが許可されていないためギリギリまでデイルームで待ち、産まれる直前で陣痛室に移動して「もうすぐ産まれますよ、お父さん」と助産師さんから声をかけてもらいました。
分娩室には入れませんでしたが、その壁越しにはっきりと元気な産声が聞こえてきました。
赤ちゃんが泣いてくれることが、もう嬉しくて、嬉しくて、涙が止まりませんでした。
命があること、元気に暮らせていること、そんな事が当たり前ではないのだと成類に教えてもらっていたから。
ただただ「ありがとう」と何度も壁越しに伝えました。
元気に産まれてきてくれた赤ちゃんに、今までずっと頑張ってきてくれた奥さんに、そして、きっと側で見守っていてくれた成類に。
本当にありがとう、と。
家に帰って子どもたちに伝えると、満面の笑みを浮かべて喜んでくれました。
子どもたちも、命があることが当たり前じゃないと知っているから、心の底から喜んでくれているのが伝わってきました。
成類に会えなくなってしまった時は、「生きていたらこんな思いもしなければならないのか」と嘆いていました。
でも、今は、「生きているから、こんなに味わい深い思いができるんだ」と思っています。
嬉しい時も、悲しい時も、人生は素晴らしいものですね。
今の気持ちを手記としてnoteに記しました。
ちょっとしんみりと、シリアスに綴ってしまいましたが、最後に一言。
赤ちゃんにおっぱい吸わせたい。