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仕事で負った二回目の傷は深い

仕事でまたつまずいている。
確か同じようなことが、今年の5月か6月にもあったな。
そういうことでまた、落ち込んだ。
振り回されている。
なぜこんなに、同じことでつまずくのだろう。

具体的な出来事を書きづらいけれど、端的に言うと、熱心な上司に振り回されている。
前回も同じだった。

そのときは、初めてのことで、わたしも対処に戸惑ってしまい、周囲にも迷惑をかけてしまった。
でもその経験から、自分の仕事にたいする考え方、大切にしているポイント、今後自分がどうしていきたいかなどに気づくことができた。

もう這い上がれないかもしれないと思うほど落ち込んだけれど、そんな自分を心配してくれる家族や同僚がいることもわかった。

そんななかでも、自分にはやりたいことがあって、それをやる気力は残っていることにも気がついた。

その後は、全く違うことに気持ちを向けてみたり、会社以外での自分の可能性を模索してみたりした。ビジネスと関係ないところで。

そこで、新しい世界を見ることができた。
新しい出会いもあった。
ワクワクする方向に向かってみたりした。

そんななかで、心が上向きに戻ってきたと思ったのに、体がついていかなったこともあって、「やはりもう少し立ち止まったほうがいいのかな」と思った。
意識的に歩く速度をゆるめたり、休んでみたりもした。

そして、ワクワクを探しながらも、本業はおろそかにせず、精一杯取り組む毎日を過ごしていた。

それから半年ほどたった今、「これはデジャヴなのか」と思うような出来事がまた起きた。
自分の物の見方を少しずつ変えようと努力してきたけれど、人(相手)は、そう簡単には変えられない。

また上司に、時間と人の力と手間を積み重ねてきたことを簡単に壊された。
子どもが公園の砂場で長い時間をかけて作ったお城を「これもいいんだけど、もっとかっこいいお城のほうがいいから、やっばり作り直して」と言われたような感じだった。

一瞬、目が点になった。現実が飲み込めない気がしたが、すぐに「あ、またやられた」と思った。

そして今度は、その場で反論もしたが、結局は上司の意に従うことになった。スケジュールに問題がなくて、ギャラに影響がなければ、上司の意向に沿うのが普通だしね。これも前回と同じだ。

そして怒りもわいたし、モチベーションが下がったし、つまずいて落ち込んでいる。半年前と同じことで。仕方ない、仕事だし。これでお金もらって生活しているし。

前回よりは自分に耐性がついていると思うし、心を無にして仕事して、結局はスケジュールどおり作り直した。

そんなこと、仕事をしていれば、どんな業種の人でも遭遇することなのかもしれない。
どんな有名なクリエイターだって、クライアントの意向に合わせたものが作れなければ、たとえ時間をかけたものでもやり直すのだろうし。
でも、そういうことにむかついているのではないんだろうなぁ。

一緒に仕事をする人が、自分も含めて、一生懸命積み上げて準備してきたことや熱意を大切にしたい。尊重したい。たとえそれができなかったとしても、その気持ちがあることを相手に伝えたいと思う。まだ自分は、感情に触り回されすぎなのか。

もちろんそれは、最低限のクリオティーが保たれたうえでの話だけれど。
わたしが今、仕事をお願いしてやっていただいている方で、投げやりにやってくる人はいないので(初見の人でたまに遭遇することはあるけれど)。もちろん、自分自身も含めて。

そういう姿勢がない人、その姿勢を理解できない人とは、あまり一緒に仕事したくないなぁ。本当はね。

でも今の上司も熱い思いは見え隠れしているんだけどね。
自分本位なんだよね。チームプレーが苦手なんじゃないかな。
でも難しい。それを指摘するのって。

目に見えたわかりやすい暴言やわかりやすいハラスメントを受けているわけではないので。
鈍いナイフでゆっくりと、ニコニコされながら刺されている感じなのだ。
だから、気づくと「あれ痛いかも」みたいな。

仕事だし、そこに自分の考えとか、自分が密かに積み上げてきた時間や労力なんて関係ないし、見えないし、結果が全てなわけだし。

今回はまだ、周囲のスタッフに発注する前だったので、わたしだけがやり直せばいい話で、被害が前より最小限だった。
とはいえ二回目はつらい。鈍いナイフがまた刺さった。

スタバのキラキラのタンブラーを買って、ランチ後にコーヒーを飲んだりして、自分の気持ちを盛り上げた。
それでもまだ心の奥底でモヤモヤしていた。

今回もまたすぐに、同僚がわたしの憤りを聞いてくれて、共感してくれた。それは本当にありがたかった。心強かった。

でもどこか悲しいような、むなしいような。
いろいろ早く進めたくて、仕事に協力してくれる方々のことを考えて、その方々の時間や手間、知恵を最大限活かした形で仕事を進めたいのに、それを何事もなかったように急にひっくり返されるのは、本当につらい。
地味にじわじわと痛みがわいてくる。
なかなかこの痛みを相手にわかってもらえない(もう諦めよう)。

心を無にして一線を引くと、前回のときに学んだので、外見上は穏やかに対応しつつも、自分自身は振り回されないようにと心がけた。
でもまだうまくできていない…。
古傷がえぐられるだけだった。

でも、こんなことを考えられるようになったのは、前回の学びがあったからだし、少し前進できたのだろうか。

この年齢になっても仕事が全く器用に要領よくこなせていない。
いろいろさぼってきてしまったからかな。
自分がまだ未熟さを突きつけられる痛みもあるのだろう。
そして、心のコントロールがまだ、思ったよりうまくできない。

なんとなくモヤモヤした気持ちのまま、帰りの電車で、オードリーの若林さんのエッセイ『表参道のセレブ犬とカバーニャの要塞の野良犬』を読む。この本、本当に好き。少し心が落ち着く。わたしもまだ笑える。

そして帰宅後、NHKのBSでなぜか、約30年前のチェッカーズの日本武道館の解散ライブを放送していた。
もちろん、録画予約していた番組だったけれど、それって今日放送だったっけ?
途中からだけど、ラスト1時間ほどリアタイできて、30年前の自分に戻る。あの中にわたしもいたな。高3の受験生だったな。

後に買ったDVDを何度も見ていたので、歌の順番、トークの内容など、ほぼ覚えていたけれど、なぜか今日見られたことが本当に嬉しかった。ドラムのクロベエも元気だった。嬉しい。

やっばり、「わたしのここぞのとき」は、フミヤさんに助けられる。
わたしのお葬式には、チェッカーズ、藤井フミヤメドレーを流してほしい。
それくらいに、わたしの節目にはいつもチェッカーズ、藤井フミヤさんの存在がふってわいてくる。毎日考えているわけではないんだけどね。
今日は本当にありがたく、心強かった。またしても。

明日の休みは、Netflixの「LIGHT HOUSE」で、星野源さんと若林さんのトークを見よう。元気をもらえそうな気がする。

今日もやっぱり、推しに救われた〜!!