ほぼ日手帳のコトバより
「大事にしたいもの」だからこそ、使わなきゃなんだよね。
「もの」ばかりじゃなく、「時間」だとかも、
あとで使うつもりだと、年をとって使い損なっちゃうんだ。
「趣味」「旅」「たのしみ」、みんなそうなのさ。
もっと言うと「努力」も「情熱」も「才能」も、だよ。
-糸井重里
若いときの努力が今の自分を作り上げているのは事実だけど、若い時にした無理は、ずっと身体にダメージとして蓄積されていて、結果として自分の時間を奪ってしまうことになることもあるんだなぁ。
春咲く花は、いまもその日に向けて準備している。
花は、いまもつぼみをふくらませている。
犬は、夜が明けたら朝の散歩があると信じて眠っている。
赤ん坊は明日も同じように乳を飲むし、おむつも汚す。
ぼくも、便乗して、いつものようになにかを書こう。
-糸井重里
明日が来ることは当たり前ではないかもしれない。それでも、明日が当たり前に来ると思って日々生きている。昨日メールで連絡した人が、明日にはもういなくなっているかもしれない。
どんなにつらいことがあっても、悲しいことがあっても、あかるくしていたいものだなぁ、とよく思う。
あかるくしていたいという「ありたいじぶん」が
あるかどうかは、とても大事なことのように思うんです。
そういうのがあるだけで、「ありたいじぶん」に近づける。
あかるくしていたいという気持ちは、悲しい気持ちを押し殺して明るくふるまうということじゃない。そうありたいと思いながら、暮らすこと。
会社の先輩のお通夜に参列した夜に、そんなことを思いました。
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