安心出来る事、信じられること

私は高校入学してすぐ、色んなことが重なり精神疾患を発症した。
その当時は自傷行為をしないと学校に通う事も出来ず、
やっと到着してもトイレに引きこもるようになり
とうとう高校の方から自主退学するように促された。
そんな経歴や自分の過去を隠し、
あくまでも普通を演じるようにと就職するときは疾患に関して
クローズにしたまま入社し自分の精神的許容量を超えたら
本音を隠して転職するを繰り返してきた。
そんなこんなで私の転職回数は多い方だと思うし、
面接時にそれを指摘されたことも多々ある。

話は変わるが先週からどうも体調がすぐれず、
子供の泣き声が引き金になってパニックを起こした。
対処も隠すこともうまくなったため何事もなかったかのように
その時は仕事に戻ったが、上手くコントロールが出来なかった今日は上司に
体調不良だと報告をして早退させてもらった。
もちろん私は障害の話自体誰にもしたことは無い。
中々理解されないことで、そんなものは甘えだという人は少なからずいる。
実際精神的な理由を武器のように使う人もいる
と私自身感じているから私は隠す方が賢明だと今までそうしてきた。
パニックが収まって冷静になった時、今の現状を一人じゃ抱えきれないことを素直に認め、たとえ理解されないとしても私を認めてくれる人を
まっすぐに信じようを思う今ならこの状況を話してもいいのかもしれないと
腹をくくり一緒に働いている先輩に説明した。
その先輩は私に「そんな言いにくいことを私に話してくれてありがとう」
と私に声をかけてくれたのだ。
私はその一言でとても救われた気がした。
私としては理解しようと話を聞いてくれた事実が一番嬉しかった。
私の症状は私にしか理解できないし対処できないもので、
話したからといって現状引き金になる状況がなくなるわけでは無い。
でも今回話して感じたのは、私を知ってもらうことで得られる安心感こそ
治療を進めていくうえで大事なことなのではないかと言う事だ。
もちろんこれで根本的に解決したわけでは無いし、
クローズで働いている現状を変えるつもりもない。
どんなに言葉で説明しても目に見えるものでない限り理解されなくて
当然だ。おそらくそれはどの環境でも変わらないだろう。
今回の件がどういう風に転がっていくのか自分でも分からない。
でもきっとこの波を超えたら何もなかったかのようになるし、
そういう自分をイメージできる私の強さを信じたいと思う。
私はきっと大丈夫だ。自分の話をしてもいいと思える人が居て
私が私を信じ、誰かを信じる強さを持っている今なら。


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