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美しい人々

私は考えすぎる癖がある。
まだ起きてもいないことを考えては、自分の現在地さえ見失いがちになる。
こういう時期が不定期にやってくる。
今そのタイミングのようで考えすぎて頭痛がしている。
私は今年で29歳になる。
世間一般で言うと結婚して子供が居て、家庭があるか
安定したお仕事をしている人の方が多いイメージだ。
かくいう私は家庭に関しては一旦破綻していて諦めていて、
正社員雇用として働く義務を放棄して未だにフリーターだ。
俗にいう社会不適合者なんだろう。
この年になって本当に自分にとってどんな仕事がしたいか
どういう生きがい、自分を見つけていくかを考え、悩む時間が増えた。
焦りから生まれる転職活動なんか上手くいくわけはなく、
考え方に囚われて身動きが取れなくなったとき私は姉に連絡をした。
話し込んだ結果自分の視野の狭さに改めて気付き、
一旦負の思考を止めるために転職活動を行うペースを落とすことにした。
何がやりたいかも大切だと思う。
でも自分の生きがいややりがいは自分が思う世界以外にも
沢山溢れていてそれがどこにあるのかは分からない。
だからこそ悩むのだけれど、そこに可能性もあるはずだ。
このように凝り固まった思考は誰かと話すことで雪解けが早くなったり、
心のごわつきが少しほどけていくような感覚になる。

私は人の話を聞くのが好きだ。
自分にはない感情や思考を知るのはしんどいこともあるけど楽しい。
自分の見える世界も感覚もやはり一つの脳だと限度があるし
誰かと話し、共有することでしか得られない幸福もあると最近は感じる。
みんな違う価値観があり人生があってそこから感じ取るものはばらばらだ。
だからこそ何物でもない価値があるし、とても美しいなと思う。
私はきっと社会不適合だと思う。
世界になじめていないような焦りと不安をいつまで抱えればいいのだろうと
たまに思う事もある。
だけど、私に会ったときに話しかけてくれる人が居て
気にかけてくれる人が居て、間違っているときは間違っていると言ってくれる人が居て、仮に世間一般にはいつまでもなじめないとしても
私の人生もきっと美しいはずだ。
私がここ数年で得られた最大の収穫は
人と話すことが人を知ることが自分を知る一番のきっかけになる
ということだろう。

私は私であることに胸を張っていたいと思う。
すぐ泣くし、すぐ凹むし
考え拗らせるし自分よりめんどくさい人間はそういないと思う。
でも私は私を生きる事を諦めていない。
だからこそ焦るし悩むが、私は私を生きる事も悪くないと思うのだ。
誰かを通して自分の美しさを知っているから。
どんな生き方でも私たちはきっと美しいはずだ。




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