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私はいつも不器用である。

私はおそらく生き方が不器用である。
出来る事と出来ない事の濃淡が激しい、自分のキャパが分からなくて
気づいたら燃え尽きて何もかも嫌になってしまう。
無駄にある糞高いプライドと劣等感から生まれる焦りを抱えたまま
仕事をしてしまうので周りを心配させてしまう。
なんでこうも自分をすり減らす生き方を選択してしまうのか
自分でも分からない。
私はどれだけ仕事をしても、新しい事を覚えても評価されても
それが自己肯定感を上げる材料にならない。
奥底にある「これが出来ない自分はダメだ」という自己批判がやむことはない。
別に一人一人の人間だから出来る事、出来ない事があっていいわけで
人に頼ることも一つのスキルであり効率的に仕事をするために必要なのは
重々承知である。
ただ私は誰かにとって価値がない自分になることを極端に恐れている。
これがいつもいい子を演じてきた弊害だろう。
聞き分けのいい子になればこの子は聞き分けのいい子ねと褒められ
常にニコニコしていればみんな優しくしてくれた。
嫌だと泣けばしらない町に捨てられ、出来なかったらどうせダメだったのにと言われる。
私は自我を通さずに常に誰かにとって都合のいい人になって、
それを必要とされているのだと思い込んでいたしきっと今でもそう思っている。
自分を誤魔化すことが生きる術であった私はいまだに自分のキャパを測る事がとても難しい。先輩や同僚に話しても感覚的なことは説明する側も理解する側も難しい。
できれば自分を客観的に見て評価してメリハリをつけられればそれに越したことは無い。
それが私にとっては何よりも難しく、ずっと抱えている課題である。

今更培ってきたものを立て直すのは無理だ。
直すと考えると出来ない自分を批判してしまう考え方の癖がある私には、
もういっそのことたまに自分が無理してないか考えてみようかな
くらいのマインドで居た方がきっと健全だと思う。
堅苦しく自分に何かを求めるのはやめよう。
出来ない事は悪いことじゃない。ほんの少し不器用なだけだ。
不器用であること、考え方、捉え方が変わっていてもそれが私だ。
とても難しいことだけどそういう自分を困らせる部分も
全部丸ごと愛せたらいいのにな笑。

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