本棚のお話し
どこかで
その人の本棚を見れば
その人の思考が分かる
と聞いた事があったなぁ。
私は文庫本100冊しか持たないと決めていて…
お気に入りの本だけを100冊だけ
小さな本棚におさめている。
勿論、後から新しく出会う本もあるから
後から読んだ本が気に入って
本棚におさめたくなった時に
どうしよう?って悩むこと度々。
電子書籍ならば、無限にお気に入りを残しておけるのだろうけれども…
紙の本の
背表紙が色褪せたり
本の角が丸くなったり
紙が少し黄ばんだり
埃が少し積もったからと
息を吹きかけ埃を払ったり…
そんな様がまた愛しくて
共に時間を重ねてきた友人の様に思うんです。
読書する事が好きでも
私の読書は
シリーズ物語の新刊が出れば
また1巻から読み始めて
同じ本をぐるぐる。
全く発展のない世界で
話の展開など分かっていたとしても
私なりに楽しんでいるの。
だから、
私の思考は、小さな本棚と言うかなり狭い世界で成り立っているのです。
小さな本棚に並ぶ本の全部が好きなのか…と言うと
そう言う事でもなく…
時折、
その褪せた背表紙の本を出して
栞が挟まっているページを開いては…
そう、この言葉が好きだったのよねぇって
改めて思い出して
心の中で埋火の様になっていた思いに
息を吹きかけて灯したりするのです。
例えば…
この『茨木のり子集 言の葉 3』ならば
行方不明の時間
人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです
この部分がとっても好きなんです。
そうだ、行方不明の時間を作ろう…って
行方不明の時間を作ってもいいんだ…って思い
本当の行方不明にはなれないけれども
『ただ私でいる時間を、私の為だけに使う』
そんな時間を私にとっての行方不明の時間と名付けて過ごす事にしてきたのです。
今日も
さて、どんな物語の中に浸ろうか…と
本棚の前に正座をして、背表紙を眺めていて
ふと、この本を取り出して
この言葉に触れて
そう、行方不明の時間だわ
って思いました。その言葉と出会った頃に比べたら
今は毎日が『行方不明の時間』みたいなものなのだけれども。
年齢を重ねた今は、
茨木のり子さんの言葉の佇まいを
思ったりするんです。
私の本棚を見せるのは
冒頭の言葉が脳裏にあるので
恥ずかしくてお見せ出来ないけれども
東京
神田明神様の参道にある
『乙コーヒー』さんの本棚が
まるで私の本棚の様で
いつも本を携えて出掛ける私だけれども
『乙コーヒー』さんには
手ぶらで行っても、続きが読めるのです。
久しぶりに
行方不明になって
『乙コーヒー』を訪ねようかしら。
…って
行き先を話したら、行方不明じゃないのにね。