言葉をためる

なにかを考えるとき、みんなはどうやって「考える」のだろう。

人によってそれは、「誰かに話してみる」であったり、「とにかく考え続ける」だったりする。


私の場合は圧倒的に「書く」ことだ。

しかしただ書くだけではない。

それについてなんとなく思うことをnoteに書きたくなった。


いま私は言葉をためている期間だと思っている。書くときに必要なしっくりくる言葉が自分にはないときがあって、今はその言葉を探しているような、そんな感じ。だからものすごく本が読みたくなったり、深い話を人としたくなったり、とにかく外の言葉に触れたくなる。


こういう期間が少しあってから、「ああ、書きたい!」という気持ちになり、一気に書く。というのが私のスタイルだなと最近気づいた。


去年妹が自死してから1年以上が経った。空虚な気持ちになることはまだまだある。けれども、思い切り悲しむことを我慢しなかったからなのか、1年前とはちょっと違う気持ちになっている。

人は必ず死ぬ。そしてそれはいつかはわからない。死ぬということがとても近くに感じられ、31年生きた自分のこれまでの人生を思い、これからの人生を思った。なんとなく、もうすぐ死ぬんだなと思った。

そう思うと自分の人生とはなにか、生きるとはなにか、そんなことを考えるようになった。人生の全体像が見えたような。

そして、どうせ死ぬならそれまでどう生きよう?という問いが浮かんだ。


もうひとつ、悲しいことがあって苦しんでいたけれども(これは別の記事にしよう)、そのあと、いろんな本をとにかく読みたくなって、人と話がしたくなったのだ。ここで話が戻るのだけど、私はいますごく考えていて、それについて自分の言葉にしたいんだなと気づいた。書きたいんだ。


こういう時期が来ると、そのあとには一歩先にというか、一段上の段階にいく。昔からこんな感じで進んできたように思う。


悩む。苦しむ。悲しむ。

自分なりの言葉を見つけていく。

考えがつながり、すっきりした気持ちになる。


ここまでくると、前に悩んでいたことの解決策というか、対処法がなにかしら自分の手の中にあるという状態になるのだ。


今はもう少しでその段階にいけそう。だからいろんな言葉に触れたくなっていて、とにかく本に引き込まれている。


なんとなくすごくいい予感がする。運とかそういうものじゃなくて、今までの経験と私の心を見ていて、体感的にそう感じる。もうちょっと。


自分の嫌なところもいっぱいあるけど、それもひっくるめて、今は自分のことを大事にしたい。過去の幼かった自分、情けなかった自分も、今の私がそばにいって声をかけたい。


「一生懸命やったんだね。大丈夫だよ」って。




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