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イギリスからの帰国後、じいちゃんばあちゃんと徳島での生活

6年ぶりに生活をする徳島の実家は特別だった。

大学を卒業するまでは徳島の実家で育った私だったが、その後就職してから名古屋、東京で計4年ちょっと生活をした後、仕事を辞めてイギリスの大学院へ進学した。無事修士論文を書き終わり、これからどうしようかとイギリスで考えていた私は、日本に帰ることをとても恐れていた。

たぶんそれは、日本での働き方や生活の送り方に疑問を抱くようになっていたからだと思う。東京で私は日々残業に追われて14時間労働をするのが普通の日々だった。名古屋や東京の都市では、一歩外に出れば店があり、広告看板があり、店内では宣伝がうるさく鳴り響き、キャッチに声をかけられる。社会は必要以上に人々に消費を促し、消費させる社会だったように思う。そして私も会社に、社会に、消耗されていった。忙しく予定を入れることで、自分の生活は充実していると思い込んだ。友達と会うとなるともっぱらカフェや居酒屋で、お金を払ってサービスを受ける場所へ行くことが当たり前だった。

一方、イギリスは普通の人たちが環境や人権を配慮する意識を持っていて、自然とのつながりを感じさせる社会だった。ミニマリスト的な感覚を持った人は多くいたし、少なくとも私が出会った人たちは消費することで「幸せ」を感じてはいなかった。家から1, 2km歩けば住宅地や街の真ん中に日本では考えられないほど大きな公園があって、多種多様な木々が生え、青々とした芝生が茂る。リスが駆け回り、アヒルや白鳥がゆったりと泳ぐ。また、森や小川の近くを歩けるような散歩道も数多くあった。友達と会う時は(ロックダウンも大きく影響しているが)公園やハイキングへ行くことも多かった。お店に入ってお金を使うことが目的ではないから。街中にも数多くのチャリティーショップや古本を無料で提供しているコミュニティなんかもあり、そんなところから心の豊かさを感じたりもした。イギリスでの生活はとても心地よかった。

そんなイギリスの生活に慣れた私は、大学院の修論を提出後、日本の消費社会に戻ることを考えるととても怖くなった。他人の目を気にして、私が何をしているか、何をしたいかよりも会社名が自分のアイデンティティになる国で無職で生活する自分の自尊心はどうなるだろうという心配もあったのだけど。

とはいえロックダウンが続くヨーロッパであと半年で留学ビザも切れる外国人の私が仕事を得られる環境ではなかったし、その中でインターンシップ先を探すことすら難しい状況だった。日本に帰るのはめちゃくちゃ緊張する決断だったが、別に特別イギリスにいたい理由があるわけでもなかった。

日本に帰る機内の13時間、前の2日間はパッキングでほぼ寝られなかった私だったが、一睡もできなかった。母国に帰ることがこれほど緊張するとは。

2週間の隔離を終え、祖父母と両親が住む徳島の実家へ戻った。
私の祖父母は母屋で、両親は離れで生活しており22歳まで生活した私の部屋は母屋にあった。農家だった祖父母は80代ながら大きな病気も痴呆もなく、家庭菜園を楽しみながら元気に仲睦まじく生きていた。

私の帰宅を祖父母は心から喜んでくれた。毎日、お昼ごはん、晩ごはんは一緒に食べた。私はイギリスで魚介類は食べるけどお肉は食べないという生活を送っていたから食生活が合わなくなるんじゃないかという心配もしていたが、80代の老夫婦が食べるものは、ほとんど家の畑でとれた野菜やご近所さんからもらったものがほとんど。

「若い人がよろこぶご飯とちゃうけど、年寄りは野菜炊いたやつや佃煮が一番落ち着くんよ。」

「このそら豆、去年家で採れたのを冷凍したやつよ!こうしたら1年中食べれるけん。」

こうやって家で採れたものを冷凍したり、大根は干し大根や漬物にしたり、さくらんぼやきんかんはジャムにして、おやつには家で作った干し芋や干し柿を食べる。昔ながらの農家の知恵と、二人の季節・自然と共に生きる姿勢はずっと消費者側だった私の心を溶かした。

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冬から春にかけて実家に住んだので、白菜、キャベツ、ニンジン、大根、ねぎ、グリンピース、そら豆、かぼちゃ、ブロッコリー、春菊、カリフラワー、カブ、さやえんどう、ほうれん草、かき、ふき、さくらんぼ・・・これらは家の畑で採れ、その他にもシイタケやレンコン、小松菜、ごぼうなどの作ってない野菜は近所の人からもらったりする。今日の献立を考えたら、まず家の裏の畑に行って野菜を抜いてくるのがばあちゃんの日課。採れたてのものをすぐに食べられる当たり前。生産者の顔がわかる当たり前。この当たり前は幸せなんだと気づくまで、29年もかかってしまった。

店で買っていた野菜は玉ねぎ、じゃがいも、トマト、くらいだろうか。これらは旬が来たら家の畑でも採れる野菜たちでもある。

22歳まで実家に住んでいた頃の私は、はやく田舎から出たいと思っていた。流行りのブランドのお店やカフェは徳島にないし、自分が納得できるキャリアパスは新卒では徳島じゃない。都会はやたら輝いて見えた。多くの同級生や「すごい」と思っていた人たちは都会へ出て行った。

イギリスでの生活(私が住んでいたのは田舎)が心地よかったのは、物事がスローだったからなのかもしれない。公園の散歩や放牧されたひつじや馬を眺めて幸せを感じるように、田舎の徳島でも、たとえば近所の人たちとの物々交換や自然とか、お金だけで社会が回っているわけではないと思い出させてくれた。家の裏にある土手に上がって畑仕事をする人たちや植わっている野菜や草木を眺めたり、風と太陽を感じて、川の水の流れを眺めることで元気をもらえる。

実際に都会で生活して疲れてしまった自分自身を振り返って、私が外国まで行って探し出したと思えたものは、まさか自分の実家で昔からずっと知っていたライフスタイルだったとは。サステナブルな暮らしは、ずっとすぐそばにあった。

こんな風に徳島で、家族と幸せを感じられるとは全く予想していなかった。帰ってきてよかった。結局、約半年生活した徳島、いつでも帰れる家がある幸せを与えてくれた家族に心から感謝を。

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