ある視点④ 一日一善
小さなころ、テレビのCMで
♪戸締り用心 火の用心 と歌い、
おじいさんが子供たちと一緒に、一日一善と叫んでいた。
昭和世代にはおなじみであろうこの言葉。
アニメの途中で流れるCMだったため、意識するともなく脳裏に刷り込まれてきた。
そして我が家にはなぜか道徳の教科書のような物語集が本棚に並び、他に娯楽のない田舎に住んでおり、体力もなく虚弱な子供だった私は、内容をすっかり空で言えるくらいに読み込んでいた。
人に対して良いことをしていたら、とても心がすがすがしくなるということだけは分かっていた。
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私は普段から何故だかよく道を聞かれる。ぼーっとしているのか、それとも害のない顔をしているのか、知らない街にいても聞かれるため、地図の読めない私はかなり戸惑ってしまう。
先日も仕事で訪れた街で、バスの乗り場を調べているとおもむろに肩をトントンとたたかれた。
???
振り返ると女性がプリントを指さし、場所を示していた。
流石に全く分からない場所だったため、「私も初めて来たんです」と伝えようとしたが、なにやら様子がおかしい。
かなり焦っている。そして今度は手を合わせてお願いというポーズ。
よく見るとプリントには〇〇聾学校と書かれている。式典が行われるらしい開始時間もあと少し。
そして、そのプリントにメモされていることは
バス〇〇番?
?ってどういうこと????
これだけ情報収集が手軽にできる世の中になっているにもかかわらず、必要な人にもっと正確な情報を提供できないのか。
私はスマホをすぐに取り出し、プリントにバスの番号、乗り場、出発時刻、降車バス停を書き込んだ。
すると何度も何度も手を合わせてお辞儀をし、乗り場へ走っていった。
知らない場所で困っていた彼女の不安を払拭することができたなら、これはきっと一日一善に当てはまるだろう。
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誰にでも聞くことのできる人やスマホでちょちょっと調べることのできる人にとっては、必要のない情報かもしれない。
それでも、言葉を発することのできない方に対しての案内は、別紙にアクセスを記載する気配りがあってもよい。
想像力を働かせ、相手の背景を読み取ることがホスピタリティにつながっていく