誰でも分かる「メタ認知」
「メタ」、ときくと、なんだか難しいと思うかもしれない。実はそんなことはない。私たちが日常的にやってる営みだ。メタというのは、ようするに「くくる」ことだ。リンゴをみて「円」「植物」を思い浮かべるように、一段階上のくくりで物事を見ることを、メタ認知と呼び、くくられることが単にメタである。
今例に挙げたとおり、メタ認知の方法はひとつの具象、実際のものごと、たとえば、電車の広告や靴、洋服…に対して、どのようにメタに捉えるかは何通りもあるのである。
私はこのくくり方をどう変換するかについて一生考えている。
くくり方の綺麗さや、スマートさ、有益さ、とかについて考えることが大好きだ。なぜかというと私はプログラマーで、日々プログラミング言語と向き合っていて、プログラミングにおいては物事の繰り返しや構造を表現するためにその処理に名前をつけてくくり出すからだ。
私はそれが本当に好きで仕方ない。それを更に推し進める。くくることをくくることをくくることを…と考えている。いつも。だからちょっと人と違うのかもしれない。
具象が点であるならば抽象は円である。点は個別の事象をあらわし、それを投げ縄で囲うようなイメージである。縄の種類はいろいろあるし、囲い方もいろいろだ。
くくるということは内側と外側について考えるということだ。たとえばわたしは家族がいて、友達がいて、インターネットをまたいで知り合いがいる。これは段階的にゆるやかにくくられている。外側には見知らぬ他人がいる。
しかしくくることを超えた接続もあると思う。メタを超えたつながり、直感的なつながり、縁。人が突然人に導かれたり、記号に導かれたり、これはメタでは扱えないのだが、そういう超越論的認識にも興味がある。