脳腫瘍を取ったら色々失ったり見つけたりした1【高次脳機能障害】
まず、前もって私の入院に関わった医療従事者各位と私の周囲の人たちに謝罪の意を示したい。
脱走、わがまま、こんなに人に迷惑をかけたことはないかもしれない。
これから脳の手術をする人は、手術自体以外にも諸々と各種リスクヘッジをした上で手術に望んでほしい。
【手術前】
なんか、すっごい眠くなる
2023年秋。
就職し、全国転勤の仕事で九州勤務になってから2年目。
元々そこまで真面目ではないタイプの私だけれど、会議中や運転中に「落ちる」に近い感覚の強烈な眠気に襲われることや、衝動的に怒ったり急激な不安感に襲われることが増え、病院を受診し始めた。
内科では自律神経失調症・精神科でははナルコレプシー・産婦人科ではPMS…
違う科や病院(計6箇所)に行くたびに違う診断と薬が出て、治らない。
最後行った内科医の先生の勧めで、人生初のMRIを受診。
まあ脳はないでしょと思いつつ、
この頃には意識消失の症状の原因がわかるまで運転を伴う仕事や出勤にも制限がかけると言われて面倒だったので、
一応安心したいし。しょうがないか。
などと思いながら爆音機械の中で30分ほど爆睡しながら経過後、随分慌てた様子の看護師さんと先生から見せられた画像。
直径約4cm。
診断は「多分」良性タイプの脳腫瘍。
基本的にこの髄膜腫という脳腫瘍は良性らしいけれど、一部怪しいところが見えるため悪性の可能性もあるとのこと。
えぇ、死ぬの?
聞いたあと1時間くらいはさすが泣いた。
とはいえ我ながら過ぎるほどにポジティブ。というより省みずというタイプ性格。
一晩落ち込んでからは
まあ腫瘍の分脳みそ大きくなったら賢くなって得するんじゃない?
ということで、特に長くは落ち込まず摘出手術を決定。
会社でも「事務所で倒れてたりしたら拾っていてください〜」などとオープンに気楽に報告。
まあ死にはしないでしょ
今思えばここでもう少し深刻に考えていたほうが良かったのかもしれない。
まず近所の病院の紹介で赤十字病院を受診。
またMRIと諸々検査。
要は「これはうちじゃ無理!!」と言われて即国立の大学病院宛の紹介状を渡されて終了。
次はは九州内でも 症例数の多い大学付属病院だったけれど、
「九州管内の病院では年に1件あるかないかのの難しい症例になる。特別な理由がなければ実家もある関東でやりなさい」
と実質の手術拒否を受けた。
術後に調べて初めて知ったけれど、髄膜腫のほとんどは脳の表面(骨側)にできるもの。
しかし私の腫瘍は三角部という脳を切り開かないと出せない、腫瘍ができることがほとんどない場所にあるため、非常に手術の難易度が高いとのことだった。
それならば関東に戻るしかないかーということで、比較的症例数も多い関東の某大学病院にて、手術を決定。
(この病院は年に数百件脳の手術をしているけれど、私の症例は1年で5件も無いくるいのものだとのことだった。まあ九州の5倍の件数って考えれば安全!)
造影剤を使ったカテーテル検査などを検査入院や、術前後の脳機能確認のためのIQテスト受験(なんとIQが130くらいあった)をしつつ、入院前日まで仕事をしてから本入院。
まず腫瘍に栄養を供給している血管を止める(先生曰く兵糧攻め)手術を受け、その数日後の2024年3月某日の本手術。
その日は奇しくも24歳の誕生日だった。
【術後1週目】
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
正直叫んでいた記憶と、私がうるさすぎて看護師さんに「退院させますよ!」と言われた記憶以外ない。
痛み止めは効かない。
10段階で痛みを教えてくださいと看護師さんに聞かれる。
10で収まりません。100です。
コロナにかかった時もご飯を抜かずに食べられたのに、痛みとダルさで一切食欲がわかず食べられない。
薬を追加してもらおうと叫んで看護師さんを呼ぶけれど、「どうしたの?」と言われてもまともな言葉がでてこない。
でもどうしたらいいからわからなくて叫ぶ。喉が痛い。「叫ぶとまた痛くなるよ」と言われても夜通し叫んで呼ぶ。
(看護師さんに聞いたらこの時期は殺意が湧いたらしい。ほんとごめんなさい。)
ドアが、時計が襲ってくる。怖い。
字が読めない、打てない、指がちゃんと動かない。
体にコードや尿管がまとわりつくが解き方がわからない。嫌だ。抜きたい。動けない。
なんとかトイレに行く許可が出ても、高々10m程度の距離がとんでもなく遠く感じる。
スマホを触っても手が動かない。
字が読めない。
(術後数日は看護師さんにスマホを渡されてもロックが開けず投げたりしていたらしい。)
後述する障害に加え、術後のせん妄の症状もあったけれど、母は曰くこの時一生介護も覚悟したそう。
【術後2週目】
痛みは耐えられないほどではなくなり、病室から出歩ける程度になった。
徐々におかしいことに気づく。
" 右が " 見えない。
回診で回ってきた先生に長い棒を出され、真ん中を触ってと指示されて指すが、どうやら真ん中からズレている。
また食事残すの?と看護師さんに聞かれて初めてお盆の右側にまだ手を付けていない皿があることに気づく。
あれ、右目、見えてない?
正確に言うと、両目の右側が見えない。
右半側無視。
右側にあるものの存在を認識できない。というよりも、なかったことにしてしまうという障害だ。
脳って本当に不思議。
この症状が強い間は、例えば食事の際おぼんの左側に食器を置かなければお皿の存在に気づかず、一切手を付けずに食事を終了してしまっていた。
その後、一ヶ月くらいは右側の物にぶつかることが続くため、廊下などは右に沿って歩いていた。
改善した今でも同名半盲(両目の右側が見えないが、存在を無視することはない)という障害が残り障がい者手帳を申請した。
が、その時はこれで嫌いな人が右側に来たら名実ともに「気づきませんでしたぁ」で流せるじゃん!ラッキー!などと思っていた。
我ながらいい性格。
敬語が使えない!
病棟のデイルームで、50代くらいの女性とよく話すようになった。(Tさんとする)
Tさんは人生酸いも甘いもというハードボイルドタイプ。あと糖尿病なのに容赦なくスイーツを食べて「バレたらそこまでよ!」とか言ってよく怒られていた。
ダブルスコア以上年齢が離れている私にもよく暇なとき話してくれていた。
大概デイルームでTさんとテレビを見ながら文句を言う、そんな日が経つにつれて気づく。
全く敬語が出てこない。
一応普通に会社員をしていた私。
さすがに敬語は使えるはず。
なのに、言葉が出てこない。
Tさんは寛容で、年なんて関係ない!気にしないで!と言ってくれるけれど…
まあいっか。楽しいし。
字が読めない!
字が読めない。ものによっては書けない。
このnoteを書けているので今は殆ど症状はないけれど、調子が悪い日は未だに読み違えていたりする。
数字ももちろん読めない。
これが最悪だった。
術前ならコンビニではカロリーと値段を計算して問題ないものを…と考えるタイプ。
だが、数字が読めないので、とりあえず食べたいものを全部買う。
チョコ、ポテサラ(セブンの和風のがめちゃくちゃ美味しかったので退院後も継続購入)、アイス、、
元々大食漢で、お腹が空いていなくても食べ続けられる私にとっては食事が娯楽。カロリー制限がなければ本当にいくらでも食べれる。
何よりも失敗したのが入院前にpaypayの残高を十分にしていたこと。
そもそも支払いができなければ買わずに済んだのに、数字が読めない私でも、ペイペイが十分なせいで指紋認証してバーコードを出すだけで支払いが出来てしまう。
お金を使っている感覚も一切なかった。
クレジットカードは術後一ヶ月くらいになるまで本当に使い方を忘れていたので火を吹かずに済んだ。
さらにATMの暗証番号に至っては読めないどころではなく一切思い出せない。
やばい、今月の引き落とし分入れたっけ。
まあ、いっか。
余談 入院時の注意
この頃、デイルームで確か60歳のおじさんと知り合う。
(最近子供ができたことが発覚したとのことだったので、みんなで「パパ」と呼んでいた)
パパはタクシー運転手とのことだが、話の節々から見える羽振りの良さをTさんが詰めたところ、株で資産を築いたトレーダーだったらしい。
私は元々気まぐれに株を買うタイプ。
数字がほぼ読めないにも関わらず、パパの言う事を信じ、パスワードを30分近くかけて入力し、なんとか10万円ほど株を買ってしまった。
このあと暴落した。最悪!
脳の手術をするときはパスワードを全部難しくしておいたほうがいいと思われる。
つづく
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