しまむら傘下の会社炎上で学んだ、実は難しい『言葉の力』の注入の仕方
「おばちゃん聞いて!パパはいつも靴下脱いだら脱ぎっぱなし」
「パパはご飯食べたら片付けしない」
「アイス食べたらゴミは置きっぱなし」
これらのセリフは、親戚の子供たちが私に教えてくれた子供たちのパパのこと。
「えーそうなんだぁ」
「マジでぇ!」
「うわぁ、趣味ゴミ集め?」
と適当に返事をしていた私の下へ『パパ』がすっ飛んできて、ママ側の親戚であり小姑的存在の私に言い訳をするまでがワンセットで親戚一同への爆笑リアリティショーである。
さて、この話を読んでみんなが浮かんだであろうこのニュース
↓
大手アパレル会社のしまむら傘下バースデイにて販売されたコラボ商品が物議を醸して販売取りやめになった。
「パパはいつも寝てる」
「ママがいい」などの内容が、男性差別などの批判があったとのことだ。
私がこの記事を読んだときにふと思い出したのが、冒頭にある数年前の親戚の子とのやり取りだ。
子供が身近にいない私ですら出くわしたことのあるセリフなんだから、日常的に、バースデーの商品のようなセリフは言われているのだろう。
おそらくこの商品が企画された時は、あるある話として盛り上がったんだろうなぁ。
今回のこの記事については、個人的には「そりゃダメだろうなぁ」だ。
そして、この炎上を見て学んだことが一つある。
「言葉は『誰が』『誰に』発したかで、初めて重みを帯びるものである」
例えば、
「逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!」
というセリフは、逃げ癖のある主人公が必死で葛藤しながら言うセリフで、そこに至るまでのストーリーがわかっているから名言になった。
いきなりSNSで「逃げちゃダメだ!」とつぶやいたら、知らない人から「逃げるのもありだと思います」と余計なおせ…親切なコメントがあるかもしれない。
「バスケがしたいです!」
にたいしては
「バスケがしたくてもできない人もいるんです」
と叩かれるかもしれないし
「女の嘘は許すのが男だ」
に関しては、完全に炎上必至のポストになる。
ストーリーがあり、誰かが誰かに対して発して、隠された意味を共有して初めてその言葉は重みを帯びるものであり、言葉そのものには、重みも力もない。
今回のバースデーの商品にしても、あまりにも身近にあるあるな出来事だから、もし、誰かが誰かに言っている姿が想像できる人、例えば、かわいい子どもたちが悪気なく無邪気に言ってる姿が想像できるなら、「何も販売中止までしなくても」と思うかもしれない。
しかし、今回のセリフには『誰が』も『誰に』も存在しない。
となると、SNSへのつぶやきと同じ「ストーリーのない言葉」になり、その言葉だけの意味を受け取った人が不快な思いになる。
SNSが身近にある今の世の中、自らが発する時は、不特定多数に向けたものと、友達同士での会話は明確に線引きを行わなければならない。
伝えたい時は、時間をかけて自分を知ってもらい、自分のバックストーリーを知ってもらった上で伝える。
ちなみに冒頭の話について、私にとって『パパ』は人としてすごく好きな人だから、子どもたちがディスっているのを聞いたところで信用がなくなることはない。
だからこそ子どもの言葉は笑えるし、パパの焦る姿も笑える。