ハッピーになって死にたい

シンガーソングライターとして躍進を続ける友希の新曲「ハッピーになって死にたい」がリリースされた。

くまさんかわいいね

まずは、新曲リリースの告知がなされた際のTikTokライブを振り返りたいと思う。
若干私個人の見解(発言の意図の補足)も含まれるが、概ね、以下のような話があった。

「友希ちゃんって”いい子”だよね」ってよく言われます。
でも私は別に、誰かのために敢えて”いい子”でいるわけじゃないんです。私自身が幸せになるため、誰でもなく私自身のために、誰かの言いなりになる、会社の餌になる、つまり”いい子”になることを選択しているんです。
もちろん反骨精神も大事だし、「絶対に私は言いなりになりません。提示されたのとは違う道を生きていきます。私は”いい子”にはなりません」っていうスタンスは、すごく格好いいなと思います。
それでも”いい子”になる選択がダメなことだなんて私は思いません。
きっとみんな色々あると思うんです。たとえば上司の言いなりになって、違うと思っても逆らえなくて、ぐっと言葉を飲み込んで仕事をまっとうしていたりだとか。いろんな我慢をしてたりする。でもそうやって”いい子”になることで最終的に自分の幸せを手にいれることってすごく素敵だと思うんです。
この曲は、そんな皆さんに送る、いわば社畜応援ソングです。

友希ちゃんの意図をさらに要約すると「最終的に人生の幸せを手に入れよう、そのために今は”いい子”になろう」というのがこの曲のテーマではないかと考えられる。それを踏まえて、歌詞を見てみる。

お得意の言いなりで ニコニコ笑ってたりね
いい子ちゃんって言われたって別に嬉しくない
どうせ面白くないって心で思ってんだろって
可愛いあの子にはなれやしないよばか

TikTokライブでの発言を念頭に置けばその意図は明白だ。
あえて解説するのも野暮に思えるほどストレートなので次に進む。

偉い偉い偉いよ ケラケラ笑う また餌になる

ここに主語がないことで、いろいろな読み方ができるのが面白いと思う。
「餌」という言葉があるので、「捕食者」と「私」の対比としてみる。
「偉いよ」と、”いい子”な私を、捕食者が褒めてるのか、私が褒めてるのか。またはその両方か。
「ケラケラ笑」っているのは、捕食者か、私か、その両方か。
この曲を聴いてるときの心情に合わせて解釈を変えて楽しむことができる。

また、「えら」、「ケラ」、「えさ」と韻を踏んでいて小気味良いのも聴いていてクセになるポイントだ。友希ちゃんの歌ではしばしば、こうした印象的で思わず口ずさみたくなる押韻を楽しめる。

いつだってお利口な貴方のドールです
ずっと掌で踊ってたいのディスコ ディスコ

2番のサビで出てくる「ディスコード」との語感の相性から、踊りの代表例としてディスコを出してきた、シンプルに考えればそうかもしれない。
しかし友希ちゃんの世代を考えれば、ディスコ世代の人たち(=捕食者)の音楽を彼らの「掌で」踊ってみせる、イコール”お利口なドール(操り人形)=いい子”としての振る舞いである、と考えるほうが重厚で、個人的には好きだ。

プライスつけらんなきゃ満たされないから
今はこれが心地いいわ

ここも一見、多義的である。
「プライスつけらんなきゃ」を「誰かに私の価値を見出されなくては」と取るか、「自分で自分の価値を決められなくては」と取るかによって味わいが変わる。
しかし、捉え方のヒントはすでに出ているように思う。
「今は」という断りによって、この2行は「将来的にプライスがつけられなくては満たされないから、今は踊ることをよしとする」というのが友希ちゃんの意図したところだろうと予測できる。ならば「プライス」はTikTokライブで話にでた「最終的な幸せ」を示しているのだろう。その幸せを求めているのは前述の通り、友希ちゃんである。ということは、ここは「最終的に自分で自分の幸せを手に入れたい(=プライスをつけたい)から、そのための過程として今は”いい子”に徹する、逆説的に”いい子”であることで将来的な幸せが手に入ると思うとこの境遇もいっそ心地いいわ」という意味と思える。たった2行、限りなく少ない文字数で、なかなか雄弁に語っていてとても美しい。

ハッピーになって死にたい
だから生きよ

楽曲タイトル回収である。そしてここにも美しさを感じる。

「生きる」という言葉に含まれる時間は何十年ぶんもある。一方で「死ぬ」というのは、瞬間的な出来事である。また、死という言葉はとても強い言葉であるがゆえ、対義語としての生を意識せざるを得ない。「ハッピーになって死にたい」という文章を前にした私たちの脳裏には、現時点から努力して自分なりの幸せを勝ち取り、ゆるやかに衰退し、いつか穏やかに死ぬまでのプロセスが一瞬にして鮮明に浮かぶ。字義以上の情報量を鮮やかに込めてみせる技術に惚れ惚れとしてしまう。

そして、改めて「だから生きよ」と「ハッピーになって死にたい」に込められた言外の意を確かなものとし、以って説得力を増幅させている。あまりにも美しい構造である。

出来ないの一点張りで逃れたってつまんないね
いい子ちゃんって言われたいわけじゃない

1番のAメロで4行かけて描写した内容を2行で反復している。美しい。

味気ない 向いてない わかってた わかりたくない
こんな生き方じゃダメですか

ここにきて、”いい子”であるため押し隠してきた本当の気持ちを表層に出している。つまり、隠しきれてない。それだけ強い想いであるということになる。抗って生きていきたいんだという強い意志が伝わってくる。そしてこの直後、行進曲のようなトランペットとドラムロールが印象的な間奏が入ることで、前進、躍進したい意志の強さが修飾される。思わず鼓動が速くなり、気づけば拳も握ってしまう。

まだ死ねないよばか

そうだよな!!!!!!!
まだこっからだよな!!!!!!!!!
幸せを掴もうな!!!!!!!!!!!!!!!
と、ここで感情が理性を越える。
計算され尽くした完璧な芸術すぎやしないか。

いつだってお利口な貴方のドールです
やっぱ綿の中で叫んじゃって ディスコード ディスコード

discordという単語を見るとコミュニケーションツールを思い浮かべてしまいがちだが、「不和、不一致」という意味である。
「綿」という言葉で、ジャケット写真の倒れた熊のぬいぐるみが脳裏をよぎる。
心の中で不和を叫ぶ様子を、映像としても文字としても印象付けさせる。その上で1番の「ディスコ」に繋げてくる技術・・・。
本当になんというか、どうしてこうも美しいギミックを次から次へと思いつくのか、脱帽である。シンガーソングライター友希の大きな魅力の一つである。
完全に余談だが、cord は core と語源を共にしており、心臓とか核心というような意味がある。ここにいろいろな接頭辞がくっついて単語となっている。discord, decord, accord, concord, recordなど。英単語は語幹から覚えるのがオススメ。 

地獄を選ばなきゃ生かされないなら
今喜んで飛び降りるわ

最後に格好よく締め。本当に天才。

最後に、楽曲のギミックについて少し触れようと思う。
などと大仰な見栄を切ったが、私は音楽に精通しているわけではないので、自分が気づいた部分を単に紹介するというだけである。
イントロ、友希ちゃんが歌い出す直前、「ハッピーハッピー」という加工された音声が入っている。ここで連想されるのは、数ヶ月前にネットミームとして一世を風靡した猫ミームだ。パタパタと両前足を動かして飛び跳ねるあの有名な猫は、実はペットショップで売れ残っていた猫であるという。
この曲、この歌詞を踏まえて再度あの猫を思えば、ペットもまた、飼い主にとっての”いい子”となることで自分の幸せを勝ち取っているとみることもできる。そう思ったとき、生きるということに関して、なんとも言えない気持ちとはならないだろうか。

さて、友希ちゃんの新曲「ハッピーになって死にたい」の魅力を語ってきた。とにかく友希ちゃんの歌は細かなところまで意匠が凝らされていて、非常におすすめである。加えてライブパフォーマンスも素晴らしく、胸を打つ感動の数々に、こころゆくまで酔いしれることができる。極上の音楽体験をしてみたい方は騙されたと思ってライブ会場に足を運んでいただきたい。

素晴らしい楽曲を生み出してくれた制作陣にも最大限の感謝の念を抱きつつ、本稿を終了とする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?