2024年9月、自民党総裁選に寄せて 国民は政治に参加できてるんだろうか?

 2024年9月、ネットニュースやXでは自民党総裁選の話題が多く流れている。自民党総裁選、事実上の次期総理大臣を決める選挙である。誰が総裁になるかで、この国の方向性が変わる。ただし、投票権は自民党に所属する国会議員と党員だけにある(国会議員317人が半数を、残り半数を党員110万人が持っているよう)。自分はどこの党員でもないので、蚊帳の外感が半端ない。厳密には次期総理大臣ではなくただ自民党のトップを決めるだけの会なので、自民党員が好きに決めれば良いし、党員以外が文句を言う筋合もないのだが、これは本当に皆にとっていいことなのだろうか?

 丁度、数ヶ月前の都知事選の折に、COTEN RADIO で民主主義のシリーズを聞き直し、他にも100分で名著シリーズのルソーの巻を読んだりして、「民主主義」について勉強したばかりである(これについてのまとめは膨大になってしまうので今回は避けることにするが)。そもそもルソー本人は、民主主義的ではないことを理由に(特殊意志を代表することになるから)、政党政治には反対していたという。個人的には、政党が必ずしも一般意志を模索しないものとは思わないが、戦前戦後の我が国の民主制度、政治の歴史を振り返れば、確かに党利党略に尽力するばかりであったのは否めないし、おそらく現状もそうである。一旦総裁が決定すれば、自民党の各国会議員は国会で党意に背くような投票はできないし(離党を決断しない限りは)、であれば議員としての個別の代議権はもはや存在しない。

 ぶっちゃけていえば、自分はかねてより議院内閣制自体に疑問を抱いている。そもそも三権分立が成り立っていないし、二権が強すぎるあまり、実際には最高裁も行政権、立法権に迎合してばかりのようにしか見えない。ともすれば、この国の参政権は、実は党会費という名目で自民党に課金している人間にしかないのではないかと思うのである。自民党員は日本国の人口のおおよそ1%程度に過ぎない。自分だけでなく、日本国民の大半、99%の人間が実は蚊帳の外に置かれているのではないだろうか。このようなやり方で、国民としての民意は本当に反映されうるんだろうか。

 代案はいくつかあって、①シンプルに大統領制にして行政のトップを全国民で選出する、②政党自体を禁止する、③総理大臣や内閣を変更するときはその都度必ず解散総選挙を行う(これであれば総理大臣候補が気に入らなければ他の党や候補に投票するという形で参政できる)、などが考えられる。いっそ日本国民全員が自民党員になってしまってもいいかもしれないが、その場合は投票権をお金で買えるだけの余裕がない人たちもいるだろうから、実際には制限選挙となってしまう。したがって完全な解決にはならないだろう。

 以上、このようによくよく考えると、日本国民には行政に対する参政権がないように思うわけである。

 一応言明しておくが、自民党の政治が悪いとか嫌いとか言っているわけではなく、政治システムのあり方として適切なのだろうか、という話をしている(かと言って別に自民党を応援してはいないが)。ただ、この国の行方は誰によって決められ、一体どこへ向かっていってしまうのだろうかと、ふと思っただけである。

 

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