松田松陰は やっぱり偉大だ
吉田松陰の言葉 留魂録第8節
十歳で死ぬ者には十歳の中にその中に人生の四季がある。
二十歳にはおのずから二十歳の四季が、
三十歳にはおのずから三十歳の四季が、
五十、百歳にもその中に人生の四季がある。
十歳の人生を「短い」というならば、それは
(短命の代名詞)セミを(長命の代名詞)椿のように
変えようとすること無理なことを願うのと同じこと。
逆に、百歳の人生は長すぎるというならば、
椿をセミ蝉に変えようと望むようなもので、
どちらも天寿を全うしたとはいえない。
人生は、ある日突然容赦なく終わることがある。
嘆き、泣き崩れ、どうしてなのかと、どうしようもないから嘆く。
私は、余りに辛い時に、この人生が早く終わって欲しいと願ったことがある。
とても虚弱で、希望を持つことも出来ず
結婚することもできないのではないかと思っていたが
結婚し、仕事をして、還暦を迎える年となった。
私は、自分の天寿を現在進行形で全うしている。
しかし、子どもが小さくて亡くなっていく人もいる。
大人になれずに人生を終える人もいる。
1世紀生きている人もいる。
そして、その人々は、良い人の場合もあれば
そうじゃない人もいる。
つまりは、その人の人生の時間は、なんの法則もなく
ある日突然終わってしまうことがあるという事。
ただ、どんな長さであろうとも
多分、生まれる時にその人が決めてきた時間なのだろうと思う。
そこに何の法則も無いなら
短くても、長くても、
今を丁寧に安全に生きていくことと
後悔ないように、生きてみれば良いと思う。
自分が満足いくように生きることを
ただ、淡々とやってみるのが良いと思う。
誰かの為とか
何かの為とか
それは、自分が満足いくように生きた結果で良いと思う。
明日目が覚めたら、「今日もありがとう」から始めて
「今日もありがとう」で夜が更けていくのが良いと思う。
限られた自分の時間に
あなたは何をしますか?
そして、今のままであなたは良いと思えるかということにもなります。