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心のフィルターの使い方

最近、受け取ったものをフィルターを通して濾過して受け取る
内側にあるものもフィルターを通して濾過して相手に表現する

そんなイメージが湧きます。

よく、心のことを学ぶ時
フィルターを通して出来事を捉えている
どんなフィルターを持っているのか自覚すること
フィルターを「外して」みることを薦められます

フィルターも、私の、大切な命の一部だとして
フィルターを外すってなんだか寂しいなって思うんです。
フィルターはいらないもの、いけないものみたいに言われている気がして。

フィルターって、二つありますよね。
セロファンフィルムみたいにそこを通ると光が色付けされるやつ。
もう一つがコーヒーをドリップする時の、濾過に使うやつ。

セロファンみたいにしちゃうと、外からの刺激に色をつけて違う捉え方にしちゃう。
愛からのメッセージも、違って見えて、受け取れなくなる。
セロファンみたいに黄色と緑のフィルターを持っていると、赤の刺激はオレンジ色になって、緑を通って焦げ茶色みたいになるかも。

フィルターがセロファンのイメージのとき

そっちじゃなくて、濾過するのにつかう。
例えば黄色と緑のフィルターを持っているとして
光を受け止めてもらえるとしたら
赤は黄色を通る時黄色の成分を引き受けてもらい
緑を通る時緑の成分を受けてもらうと
また違う見え方をするんじゃないかな。

黒いと思っているものも、黒から黄色成分が抜き取られ
さらに緑の成分が抜き取られると、赤が残る
みたいな。

黒くて受け取り難いと思っていたものの中でも、受け取れるものがあるかも。

フィルターってそういう見方もあるのかもなという仮説。

そして、これがその人のプロセスとして、この色のフィルターがあるとして、それを通して体験してことは、過去のことでも見直すことができる。
時空を越えるよね、と思ったり。

ふとそう思ったのです。

また続きます。


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