不動明王
長崎もようやく梅雨明けしたようで、ここ数日はお日様を見られていい感じです。
土曜の午前中に大人の作文対話をやらせていただいたのですが、僕自身もたくさん学びがあったり改めて気づかされることがあって、いつも素敵な時間を過ごさせていただいているな、と感じています。
きょうの方のお好きな、お隣の佐賀県出身の現代美術家、草場一壽さんの絵を見て、感じたことを言葉にしてみて、それについて対話をするという流れでいつも取り組んでいます。
草場さんの公式HPです↓
今回、出てきた絵は、「不動明王」。
一目見て怖いですよね。
これまでの対話でも、「この絵から受け取るメッセージと、添えてあるメッセージがしっくりこないんですよね。腑に落ちないというか、体に入ってこないというか」とおっしゃることが多い彼女。でも、話をしているうちに、あぁ、そういうことか、と自分で気づいていくということをされているように感じています。
今回の不動明王は、「我欲は火炎に投げ入れろ」「弱くてもカッコ悪くても、自分をいければよい」とコメントがついていました。
不動明王がどうして怖い顔をされているか、みなさんご存知ですか?この説明だと、わが身を見るものにはほとけの道が開かれる。その道ではなく外道の道に進もうとするものを引き戻すために、このようなお姿をされているとのこと。
「今回、この対話作文をやめようかなと思ったんです。ふと脈絡なく。で、そのとき、これちゃんと見るべきものがあるのを避けようとしているんかなと思ったんです」
対話の中で彼女はそういう風に打ち明けてくれました。
じゃあ、不動明王を引いたのも、そういう意味かもしれませんね、と伝えました。何もないようにしている、彼女の心の中にある、何か。無意識に避けようとしている何か。そこに迫ろうと自分の内側を見ようとしたときに、「対話やめちまえ」と言ってくる頭。
その声は本当の願いではなく、それを見ないままにしておこうよ、っていう怖さからくるものであり、そういう反応があるということは、きっと大切なものがそこにある。不動明王は、きっとそのまま自分を見ることが真実の道だと示してくれたんじゃないかなと。
確実にそこに大切なものあるよね、と思って、いよいよ本丸ですかね、と二人でお話しました。
僕も以前、自分の内側を見ていくセッションを半年に渡ってやりました。あの本丸に入っていく感じ、めちゃくちゃ怖かった。でも、そのときはセッションしてくれた親友がいたから、一緒に行けました。二人で泣きながら、ゲラゲラ笑いながら、時には怒ったりすねたり。
一緒に、見ていきましょうね、と伝えました。
そう話しているときに、うずくまって泣いている小さな女の子がそこにいるようなイメージが湧きました。なんで泣いているんだろう。
ちょっとずつまた、お話しながら見つけていけたらと思います。
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